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大泉 逸郎(おおいずみ いつろう、1942年4月17日 - )は山形県西村山郡河北町出身の演歌歌手。1999年、大泉本人の孫を歌った「孫」でメジャーデビュー、血液型はB型、身長163cm、体重70kg、趣味は熱帯魚飼育。 == 略歴 == 本業はサクランボ農家の経営者。現在も山形県河北町でサクランボを収穫している。 アマチュア民謡歌手として、1977年に東北・北海道民謡大賞を受賞したのをきっかけに、本格的に活動開始。初舞台は山形刑務所であった。 1994年に自らの初孫が誕生し、あまりの可愛さに、生後3日目に友人の荒木良治に作詞を依頼し、自らが作曲を担当した自主制作盤が発売された。後の1999年、メジャーデビュー盤の『孫』が発売され、240万枚以上〔大泉逸郎が骨髄バンク支援のチャリティーコンサート 、ZAKZAK、2007年9月13日。〕の売り上げを記録する大ヒットとなる。NHK紅白歌合戦にも58歳で初出場(当時の白組歌手の最年長初出場記録である)。その後も「孫びいき」「親ごころ」とスマッシュヒットを連発。コンスタントな活躍で演歌界に定着している。 2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する大泉の代表曲で背景映像に大泉本人が出演する映像が多く採用されている。また一部のLD版カラオケの「孫」でも大泉本人が出演する映像が採用されている。 民謡の大塚文雄とは実家が非常に近く、2人とも幼い頃から歌がうまいと近所では評判だった。 家族(長男)が白血病であったこともあり、骨髄バンク支援に熱心である。 地元のお茶屋さんからヒット曲「孫」と名づけられた煎茶が発売されている。 一時期、ハガキの住所に「山形県 孫様」と書いて投函すると郵便事業の対応処理で大泉の自宅に届いていた。これはフジテレビ系テレビ番組『トリビアの泉』でも取り上げられ、大泉自身も日本テレビ系の『踊る!さんま御殿!!』に出演した際に発言している。 2011年に脳梗塞を起こしたが、命に別状はなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大泉逸郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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