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大津淳[おおつ あつし]
大津 淳(おおつ あつし、1932年1月2日 - )は、昭和中期(1950年代後半~1960年代前半)に活躍した元プロ野球選手。 == 来歴・人物 == 明石高校(旧制明石中学校)では、捕手として春の選抜に出場。1回戦で徳島商に敗退〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。卒業後は関西大学に進学、外野手に転向する。関西六大学野球では在学中3度優勝。春季リーグで首位打者を獲得、『ミスター関六』と呼ばれる。リーグ通算93試合出場、319打数102安打、打率.320、3本塁打。プロ野球から誘いが来るが、断り日本生命に入社。の都市対抗に全鐘紡の補強選手として出場。準決勝で決勝二塁打を放つなど中心打者として活躍、決勝でも鐘淵化学を破り優勝を飾る〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。 同年12月に阪神電鉄に入社し、出向の形で阪神タイガースに入団〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、106ページ〕。翌から、レギュラー外野手として出場。には打撃ベストテン8位(打率.262)の好成績を記録した。には1試合だけ捕手として起用された。限りで現役引退〔。 引退後は、阪神電鉄に戻った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大津淳」の詳細全文を読む
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