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大津野村強盗殺人事件[おおつのむらごうとうさつじんじけん] 大津野村強盗殺人事件(おおつのむらごうとうさつじんじけん)は、終戦直後に広島県で発生した強盗殺人事件である。 == 事件の概略 == 1945年(昭和20年)12月23日、広島県深安郡大津野村(現在の福山市大門町)にある岡山県との県境の近い槇ヶ峠の頂上付近で男性2人の惨殺遺体が発見された。2人は胸部や脚を小銃で打ち抜かれた上に顔面がめった打ちにされ殺害されていた上に、背負っていたリュックサックも切り裂かれていたことから強盗団に遭遇したのは確実であった。 被害者は、県内の豊田郡大長村(現在の呉市豊町)の柑橘出荷組合の理事2人(共に当時49歳)で、12月18日に岡山県小田郡笠岡町(現在の笠岡市)に服地の購入を斡旋してやると称する5人組の案内で、服地の代金34万円を持参していたことが判明した。犯人グループと2人は山陽本線笠岡駅の一つ手前の大門駅で下車し、人里はなれた山道で正体を現した犯人グループによる凶行の餌食となったとみられた。この5人組は12月12日から大長村に宿泊していたが、その時宿帳に記載していた住所は同村の面識があった職人の男性のものであった。しかも男性は5人組とは呉市で宿屋が一緒になったのが縁で顔見知りになっただけで、村に案内はしたが犯行グループの一味ではなかった。そのうえ5人組の住所氏名が書かれたメモを渡されていたが、犯行前に取り戻された上に、文字も草書体で書かれていたため、男性は読めなかったため覚えてはいなかった。 福山警察署(現在の福山東警察署)は、犯人達が岡山県にいる可能性があるとして岡山県警察に協力を求めると共に、犯人達と最も面識のある職人を就職の斡旋をして福山市へ転居させ、岡山県下の警察署にある被疑者リストの写真を確認させていた。1946年5月にリストにあったある男に似ていると証言したため、身元照会をしたが岡山県側から回答はなかった。しかし、8月に鞆の浦沖で貨物船が放火された金比羅丸事件が発生し、貨物船の犠牲者が偶然にも大津野村の被害者と同郷であったことから、再捜査が行われたが、この過程で身元照会の回答がないことに気付き再度照会が行われ、味野警察署(現在の児島警察署)から牛の窃盗犯グループの3人の一人であると判明した。そこで職人を連れて行って確認させたところ一味に間違いないと判明した。この窃盗犯3人と他2人は程なく逮捕され、5人とも容疑を認めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大津野村強盗殺人事件」の詳細全文を読む
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