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大派皇子 : ウィキペディア日本語版
大派皇子[おおは の みこ]
大派皇子(おおは の みこ、敏達天皇14年(585年)以前? - 没年不詳)は、飛鳥時代皇族敏達天皇の第三皇子。母は春日老女子。
別の記述では「大俣王」とも書かれることから、敏達天皇の孫「大俣王」と同一人物と見る説もある。
舒明天皇8年(636年)に官人の勤務制度について大臣蘇我蝦夷に「今より以後、卯の始めに朝りて、巳の後に退でむ。因りて鐘を以て節とせよ」(官人たちの出士・退出時間があいまいなので、鐘で勤務時間をはっきりとさせよう)と意見をだしているが、無視されている。
皇極天皇元年(642年)、舒明天皇の大葬では巨勢徳多が大派皇子の代わりに誄を述べている。
軽皇子(後の孝徳天皇)の代理粟田細目や蘇我蝦夷の代理大伴長徳らより先に誄を述べられていることから、当時の大派皇子の地位が高かったことが分かる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大派皇子」の詳細全文を読む



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