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大浦信行[おおうら のぶゆき]
大浦 信行(おおうら のぶゆき、1949年 - )は日本の芸術家、映画監督。昭和天皇をモチーフとして扱った作品である《遠近を抱えて》が展覧会の後に問題作として画集が焼却され、それに対して裁判を起こしたことで知られる〔天皇と9条から見る日本戦後美術~大浦信行インタビュー 〕。 == 人物 == 1949年に富山県で生まれた。1956年東京都に転居〔富山県立近代美術館編『富山の美術'86』1986年、72頁。〕。19歳で画家を志し、絵画制作を始めた〔CINRA.NET キワモノと呼ばれた大浦信行の、タブーを恐れない芸術家の極意 〕。1971年國學院大學を卒業し、ケニヤ画廊にて個展を行った。1972年24歳で8mm映画製作を開始した。また、プリントアートギャラリーにて個展を行った。1973年、ジャパン・アート・フェスティバルに出展した。1974年東京、天井桟敷館にて映像による個展に出展したほか、アンダーグラウンドシネマ新作展、100フィートフィルムフェスティバルに出展した。その後1976年から1986年にかけてニューヨークに滞在し、その内7年間は荒川修作の元で助手を務める。1977年リュブリアナ国際版画ピエンナーレに出品した。1978年クラコウ、ノルウェー、フレッヘンの各国際版画ピエンナーレ、ブルノ国際グラフィックデザインピエンナーレに出品した。1982年頃、後述する『遠近を抱えて』を展示できる画廊がなかった頃に、人づての紹介で針生一郎と出会う。 1983年サブラ・シャティーラ美術展。1984年東ベルリンのインターグラフィック'84、東京のギャラリー山口で個展を行った。1985年リュブリアナ国際版画ピエンナーレ、エンバ美術賞展、また栃木県立美術館の1985年日本の版画に出品した。帰国した1986年から彫刻制作を開始した。2002年には『日本心中』の続編である『針生語録』を製作中とある〔「異端の批評家を封印された美術家が撮る」『週刊金曜日』415号、2002年、26頁。〕が、その後の詳細は語られていない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大浦信行」の詳細全文を読む
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