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大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。 1953年(昭和28年)に国宝に指定された。また、2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。 観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われている〔とは言え現在も特定日などに限って礼拝を行うこともあるため、拝観の際には脱帽・静粛・(建物内)撮影禁止・禁煙となっており、その旨信徒発見記念の聖母像の下の看板に記載されている。〕。 ==歴史== *1862年(文久2年) *12月〔1863年3月11日(文久3年1月22日)とも。〕 - フランスのパリ外国宣教会宣教師で日本教区長のジラール神父の命により、横浜にいたフランス人司祭(神父)フューレが長崎に赴任。司祭館と教会堂の建築準備に着手。 *西坂の丘〔現在、日本二十六聖人記念館が建てられている場所。〕 - 1597年2月5日(慶長元年12月19日)に殉教した26名(日本二十六聖人)が、この年にローマ教皇ピオ9世により列聖される。 *1863年(文久3年)夏(8月) - プティジャン神父(後に司教)が長崎に着任。フューレを補助し、天主堂建設に尽力。 *1865年(元治2年) *2月19日(1月24日)- 大浦天主堂が完成、献堂式を挙行。二十六聖殉教者堂と命名。大浦天主堂は日仏修好通商条約に基づき、フランス人の礼拝堂として建設され、教区長ジラールが宣教師プティジャン、ロカーニュを従え、献堂式を執り行った。献堂式には居留外国人を含め、長崎港に停泊中のフランス、ロシア、イギリス、オランダの艦長がそれぞれカトリック信者の水兵数名を従え参列した〔市制百年(1989年(平成元年)4月1日、長崎市役所)〕。建築設計はフューレ、プティジャンの2名によるもの。建築施工は天草御領島出身の小山秀之進(秀)が大工棟梁として施工〔浦川、1945年(昭和20年)、pp. 48ff。〕。建築様式は3本の塔を持つゴシック風の構造ながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はなまこ壁という特殊な意匠であった。 *3月17日(2月12日)- 浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗る(信徒発見)。 *1868年7月26日(慶応4年6月7日) - フランス人神父ド・ロがペルーズ号で来航し、大浦天主堂に入る。ド・ロ神父は大浦天主堂で「教会暦」、「聖教日課」を石版印刷した(これは日本初の石版印刷である)。 *1875年(明治8年)~1879年(明治12年) - 天主堂の大規模な増改築を実施。 *外壁を煉瓦造にあらため完全にゴシック風の建物になるなど、創建当時の外観から大きくその姿を変えた〔パリ外国宣教会所蔵の大浦天主堂設計図面 〕〔大浦天主堂の創建時設計図を仏で発見 :長崎新聞 2007年(平成19年)9月6日〕。木造だった創建時に対し、1879年(明治12年)5月22日に献堂された新教会堂は九州初の煉瓦造構造となった〔太田静六『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』理工図書、1982年(昭和57年)。p. 144。〕。 *1891年(明治24年) - カトリック長崎司教区(現・カトリック長崎大司教区)の司教座聖堂に指定される。 *1933年(昭和8年)1月23日 - 当時の国宝保存法に基づき国宝(旧国宝:現行法の重要文化財に相当)に指定〔1933年(昭和8年)1月23日文部省告示第14号。〕。 *1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎市への原爆投下によって破損したが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れる。 *1952年(昭和27年) - 修理が完了。 *1953年(昭和28年)3月31日〔1953年(昭和28年)6月16日文化財保護委員会告示第65号。国宝の指定は3月31日付け。〕 - 文化財保護法に基づき国宝に指定された(洋風建築としては初の国宝指定)。 *1962年(昭和37年) *1月1日 - カトリック長崎大司教区の司教座聖堂が浦上教会に変更される。 *6月8日 - 日本二十六聖人列聖記念100年祭のミサが執り行われる。 *6月10日 - 西坂公園で記念式典を挙行。国内外よりカトリック信徒約1万人が参列。 *1965年(昭和40年) *2月21日 - 大浦天主堂創建100周年記念式典を挙行。 *3月16日 - キリスト信者発見100周年記念祭が開催。信者発見記念碑「聖母像」の除幕式を挙行。 *3月17日 - ローマ教皇特使マレラ枢機卿が長崎を訪れ、大浦天主堂で荘厳ミサが執り行われる。 *1975年(昭和50年)11月3日 - 新築のカトリック大浦教会が完成。 *大浦天主堂を訪れる観光客数が増加したため、ミサの最中に観光客が見物に入るなど、天主堂内での典礼の進行に支障をきたすようになってきていた。そこでカトリック信者および観光客双方に配慮し、大浦天主堂に隣接する土地に新たに大浦教会を建設。これによって観光客が信者に気兼ねなく大浦天主堂を見物しやすくなった。 *2007年(平成19年) - 建立当初の設計図(平面図と側面図)がパリ外国宣教会本部古文書局に保管されていた資料の中から発見〔。 *発見者 - 林一馬(長崎総合科学大学教授) *設計図では、屋根は瓦ぶき、窓は洋風で、会堂や廊下などの列柱の位置は現在と同じであった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大浦天主堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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