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大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。 ==年譜== *1914年5月20日 - 福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。 *1921年 - 石川郡澤田小学校に入学。 *1924年 - 父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。 *1927年 - 私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。 *1932年 - 石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学芸術学部創作科で川端康成らから指導を受ける。 *1934年 - 日本大学芸術学部創作科を卒業。 *1935年 - 郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。同時に、教育職員免許状を取得し、小学校に勤務しながら文学の勉強を続ける。 *1937年 - 会津若松歩兵第29連帯留守隊に応召。 *1939年 - 北支線隊に送られる。 *1940年 - 北支黄河の支流・隔新河で戦傷を受ける。北京陸軍病院を経て、12月31日、大阪陸軍病院赤十字病院(現:大阪赤十字病院)に送還される。 *1941年 *2月 - 東京日本赤十字病院に転送される。 *4月 - 戦傷が回復し、結婚。 *5月 - 単身で北部軍幹部教育隊(旭川市)に転属する。間もなく、北部軍教育隊(恵庭市)に移り、予備学生の教育にあたる。 *1945年 - 終戦。12月、矢吹町に帰郷。詩作及び文学研究に着手。 *1947年 - 矢吹町立三神中学校(現在は矢吹町立矢吹中学校に統合)の教員を務める。 *1949年 - 旧制矢吹町立矢吹中学校の教員を務める。 *1953年 - 栃木県足利市に移住。その後、足利市内の小・中学校で教員を務める。 *1955年 - 現代詩人会(現:日本現代詩人会)に入会。 *1959年 - 現代詩人会理事に就任。 *1962年 - 栃木県教育委員会指導主事に任命される。 *1964年 - 足利市立中学校の校長に就任。 *1967年 - 足利市教育委員会指導課長及び足利市立教育研究所所長に就任。 *1970年 - 足利市立第二中学校の校長に就任。 *1975年 - 足利市立第二中学校を最後に、教員を定年退職。 *1989年 - 故郷・矢吹町において、矢吹町図書館開設を記念し、自らの蔵書を寄贈。 *1998年9月16日 - 19:41、足利日赤病院にて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。==年譜==*1914年5月20日 - 福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。*1921年 - 石川郡澤田小学校に入学。*1924年 - 父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。*1927年 - 私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。*1932年 - 石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学芸術学部創作科で川端康成らから指導を受ける。*1934年 - 日本大学芸術学部創作科を卒業。*1935年 - 郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。同時に、教育職員免許状を取得し、小学校に勤務しながら文学の勉強を続ける。*1937年 - 会津若松歩兵第29連帯留守隊に応召。*1939年 - 北支線隊に送られる。*1940年 - 北支黄河の支流・隔新河で戦傷を受ける。北京陸軍病院を経て、12月31日、大阪陸軍病院赤十字病院(現:大阪赤十字病院)に送還される。*1941年**2月 - 東京日本赤十字病院に転送される。**4月 - 戦傷が回復し、結婚。**5月 - 単身で北部軍幹部教育隊(旭川市)に転属する。間もなく、北部軍教育隊(恵庭市)に移り、予備学生の教育にあたる。*1945年 - 終戦。12月、矢吹町に帰郷。詩作及び文学研究に着手。*1947年 - 矢吹町立三神中学校(現在は矢吹町立矢吹中学校に統合)の教員を務める。*1949年 - 旧制矢吹町立矢吹中学校の教員を務める。*1953年 - 栃木県足利市に移住。その後、足利市内の小・中学校で教員を務める。*1955年 - 現代詩人会(現:日本現代詩人会)に入会。*1959年 - 現代詩人会理事に就任。*1962年 - 栃木県教育委員会指導主事に任命される。*1964年 - 足利市立中学校の校長に就任。*1967年 - 足利市教育委員会指導課長及び足利市立教育研究所所長に就任。*1970年 - 足利市立第二中学校の校長に就任。*1975年 - 足利市立第二中学校を最後に、教員を定年退職。*1989年 - 故郷・矢吹町において、矢吹町図書館開設を記念し、自らの蔵書を寄贈。*1998年9月16日 - 19:41、足利日赤病院にて死去。」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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