翻訳と辞書
Words near each other
・ 大滝村 (埼玉県)
・ 大滝村 (富山県)
・ 大滝村 (岐阜県)
・ 大滝村 (滋賀県)
・ 大滝村 (福島県)
・ 大滝根山
・ 大滝根山分屯基地
・ 大滝根川
・ 大滝森右エ門
・ 大滝楽舎
大滝清雄
・ 大滝温泉
・ 大滝温泉 (埼玉県)
・ 大滝温泉 (秋田県)
・ 大滝温泉駅
・ 大滝直也
・ 大滝神社
・ 大滝神社・岡太神社
・ 大滝秀治
・ 大滝第一トンネル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大滝清雄 : ウィキペディア日本語版
大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。==年譜==*1914年5月20日 - 福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。*1921年 - 石川郡澤田小学校に入学。*1924年 - 父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。*1927年 - 私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。*1932年 - 石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学芸術学部創作科で川端康成らから指導を受ける。*1934年 - 日本大学芸術学部創作科を卒業。*1935年 - 郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。同時に、教育職員免許状を取得し、小学校に勤務しながら文学の勉強を続ける。*1937年 - 会津若松歩兵第29連帯留守隊に応召。*1939年 - 北支線隊に送られる。*1940年 - 北支黄河の支流・隔新河で戦傷を受ける。北京陸軍病院を経て、12月31日、大阪陸軍病院赤十字病院(現:大阪赤十字病院)に送還される。*1941年**2月 - 東京日本赤十字病院に転送される。**4月 - 戦傷が回復し、結婚。**5月 - 単身で北部軍幹部教育隊(旭川市)に転属する。間もなく、北部軍教育隊(恵庭市)に移り、予備学生の教育にあたる。*1945年 - 終戦。12月、矢吹町に帰郷。詩作及び文学研究に着手。*1947年 - 矢吹町立三神中学校(現在は矢吹町立矢吹中学校に統合)の教員を務める。*1949年 - 旧制矢吹町立矢吹中学校の教員を務める。*1953年 - 栃木県足利市に移住。その後、足利市内の小・中学校で教員を務める。*1955年 - 現代詩人会(現:日本現代詩人会)に入会。*1959年 - 現代詩人会理事に就任。*1962年 - 栃木県教育委員会指導主事に任命される。*1964年 - 足利市立中学校の校長に就任。*1967年 - 足利市教育委員会指導課長及び足利市立教育研究所所長に就任。*1970年 - 足利市立第二中学校の校長に就任。*1975年 - 足利市立第二中学校を最後に、教員を定年退職。*1989年 - 故郷・矢吹町において、矢吹町図書館開設を記念し、自らの蔵書を寄贈。*1998年9月16日 - 19:41、足利日赤病院にて死去。

大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人
==年譜==

*1914年5月20日 - 福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職長男として生まれる。幼名「清男」。
*1921年 - 石川郡澤田小学校に入学。
*1924年 - 父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。
*1927年 - 私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。
*1932年 - 石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京日本大学芸術学部創作科で川端康成らから指導を受ける。
*1934年 - 日本大学芸術学部創作科を卒業。
*1935年 - 郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。同時に、教育職員免許状を取得し、小学校に勤務しながら文学の勉強を続ける。
*1937年 - 会津若松歩兵第29連帯留守隊に応召。
*1939年 - 北支線隊に送られる。
*1940年 - 北支黄河の支流・隔新河で戦傷を受ける。北京陸軍病院を経て、12月31日、大阪陸軍病院赤十字病院(現:大阪赤十字病院)に送還される。
*1941年
 *2月 - 東京日本赤十字病院に転送される。
 *4月 - 戦傷が回復し、結婚
 *5月 - 単身で北部軍幹部教育隊(旭川市)に転属する。間もなく、北部軍教育隊(恵庭市)に移り、予備学生の教育にあたる。
*1945年 - 終戦12月、矢吹町に帰郷。詩作及び文学研究に着手。
*1947年 - 矢吹町立三神中学校(現在は矢吹町立矢吹中学校に統合)の教員を務める。
*1949年 - 旧制矢吹町立矢吹中学校の教員を務める。
*1953年 - 栃木県足利市に移住。その後、足利市内の小・中学校で教員を務める。
*1955年 - 現代詩人会(現:日本現代詩人会)に入会。
*1959年 - 現代詩人会理事に就任。
*1962年 - 栃木県教育委員会指導主事に任命される。
*1964年 - 足利市立中学校の校長に就任。
*1967年 - 足利市教育委員会指導課長及び足利市立教育研究所所長に就任。
*1970年 - 足利市立第二中学校の校長に就任。
*1975年 - 足利市立第二中学校を最後に、教員を定年退職。
*1989年 - 故郷・矢吹町において、矢吹町図書館開設を記念し、自らの蔵書を寄贈。
*1998年9月16日 - 19:41、足利日赤病院にて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。==年譜==*1914年5月20日 - 福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。*1921年 - 石川郡澤田小学校に入学。*1924年 - 父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。*1927年 - 私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。*1932年 - 石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学芸術学部創作科で川端康成らから指導を受ける。*1934年 - 日本大学芸術学部創作科を卒業。*1935年 - 郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。同時に、教育職員免許状を取得し、小学校に勤務しながら文学の勉強を続ける。*1937年 - 会津若松歩兵第29連帯留守隊に応召。*1939年 - 北支線隊に送られる。*1940年 - 北支黄河の支流・隔新河で戦傷を受ける。北京陸軍病院を経て、12月31日、大阪陸軍病院赤十字病院(現:大阪赤十字病院)に送還される。*1941年**2月 - 東京日本赤十字病院に転送される。**4月 - 戦傷が回復し、結婚。**5月 - 単身で北部軍幹部教育隊(旭川市)に転属する。間もなく、北部軍教育隊(恵庭市)に移り、予備学生の教育にあたる。*1945年 - 終戦。12月、矢吹町に帰郷。詩作及び文学研究に着手。*1947年 - 矢吹町立三神中学校(現在は矢吹町立矢吹中学校に統合)の教員を務める。*1949年 - 旧制矢吹町立矢吹中学校の教員を務める。*1953年 - 栃木県足利市に移住。その後、足利市内の小・中学校で教員を務める。*1955年 - 現代詩人会(現:日本現代詩人会)に入会。*1959年 - 現代詩人会理事に就任。*1962年 - 栃木県教育委員会指導主事に任命される。*1964年 - 足利市立中学校の校長に就任。*1967年 - 足利市教育委員会指導課長及び足利市立教育研究所所長に就任。*1970年 - 足利市立第二中学校の校長に就任。*1975年 - 足利市立第二中学校を最後に、教員を定年退職。*1989年 - 故郷・矢吹町において、矢吹町図書館開設を記念し、自らの蔵書を寄贈。*1998年9月16日 - 19:41、足利日赤病院にて死去。」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.