翻訳と辞書
Words near each other
・ 大潮英雄
・ 大澄れい
・ 大澄賢也
・ 大澤ちほ
・ 大澤ふみな
・ 大澤やすのり
・ 大澤一俊
・ 大澤一生
・ 大澤一角
・ 大澤一郎
大澤三之助
・ 大澤亜季子
・ 大澤亜希子
・ 大澤信亮
・ 大澤信陽
・ 大澤健
・ 大澤健治
・ 大澤凪沙
・ 大澤吉博
・ 大澤哲三


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大澤三之助 : ウィキペディア日本語版
大澤三之助[おおさわ さんのすけ]
大沢 三之助(おおさわ さんのすけ、1867年(慶応3年6月21日) - 1945年(昭和20年)7月26日)は、日本の建築家東京美術学校等で後進を指導した。
== 経歴 ==
江戸(現東京麻布生まれ〔以下の経歴は主に『大沢昌助と父三之助展』P143-152年譜による。〕。父・大沢昌督は町医者で、維新後、陸軍の薬剤官となる。
18歳の時、尾崎紅葉らの硯友社が創刊した「我楽多文庫」の挿絵を描いた。1891年、第一高等学校卒業、東京帝国大学工科大学造家学科に進み、1894年卒業。卒業後、1年志願兵として兵役に就く。
1897年3月、東京美術学校図案科講師、1902年12月、図案科二部(建築装飾)の教授に就任。また、1899年 - 1904年は東京帝国大学で講師を務めたほか、1905年には陸軍歩兵大尉となる。
1906年、文部省留学生としてイギリス留学。1909年、フランスイタリアと回る。1910年にロンドンで開催される「日英博覧会」のため滞欧期間を延長。同年10月に帰国。
1914年片山東熊の後任として宮内省内匠寮技師になる。1915年、学位工学博士)を授与される。1920年、内匠寮工務課長、東京美術学校講師(嘱託)。1924年、宮内省を免職。
1927年、新設の東京高等工商学校(現芝浦工業大学)建築学科長。1935年、中央工学校校長。戦時中の1945年7月、疎開先の鎌倉で逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大澤三之助」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.