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大瀧 道助(おおたき みちすけ、生年不明 - 1911年(明治44年)11月24日)は、日本の海軍軍人。第十水雷艇隊司令として第三回旅順港閉塞作戦や日本海海戦を戦った。第十二駆逐隊司令在任中座礁事故で殉職。最終階級は海軍中佐。 == 生涯 == 大瀧は山形県出身の海兵17期生である。1890年(明治23年)7月に88名中39番〔明治百年史叢書『海軍兵学校沿革』「明治23年7月17日」〕の成績で海軍兵学校を卒業した。「金剛」または「比叡」に配乗となって実務訓練を受け、少尉任官は1892年(明治25年)5月である。日清戦争では「金剛」分隊士として威衛海攻略戦に参戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大瀧道助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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