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大瀬 康一(おおせ こういち、1937年10月27日 - )は、神奈川県出身の元俳優、実業家。本名は、大瀬 一靉(おおせ かずなり)。芸名は『月光仮面』の原作者川内康範から「康」の字をもらったもの〔『月光仮面を創った男たち』 樋口尚文、平凡社〈平凡社新書〉、2008年、78頁。〕。 == 人物・略歴 == 1958年2月 - 1959年7月に放送された『月光仮面』の月光仮面〔ただし作中では明言されない。〕/祝十郎として知られた。 俳優の龍崎一郎の紹介〔『月光仮面を創った男たち』 73頁。〕で、東映東京撮影所の大部屋俳優をしているところを、『月光仮面』の主役に抜擢〔『月光仮面を創った男たち』 76‐78頁。〕。以降、宣弘社制作のヒーロー番組に続けて出演して、人気を博した。 『豹の眼』(1959年)の終了後、大映と契約して映画十数本に出演した〔。『隠密剣士』(1962年)は大映時代に宣弘社から依頼され断りきれず出演したというが、こちらも大ヒットとなり代表作の一つに数えられている〔。 1969年、企画会社「OT企画」を興し、経営者となる。成田三樹夫、長谷川待子らを擁し、芸能マネージメントやテレビ番組制作を手掛ける〔『月光仮面を創った男たち』197‐199頁。〕。 私生活では、1964年に五歳年上の女優高千穂ひづると結婚し、映画を中心に活動していたが、舅の二出川延明の懇願によりまもなく芸能活動から遠のきやがて完全引退。起業・自営していた二出川の事業を高千穂ともども手伝い盛り上げ、二出川逝去後は二人で社業(東京都杉並区荻窪での貸しビルなど)を守り、今に至る。 2013年、「月光仮面を創った男たち」(平凡社新書)の著者である樋口尚文が監督した映画『インターミッション』の映画館の観客役で40年ぶりの映画出演を果たした〔「インターミッション」公式サイト 。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大瀬康一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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