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大炊御門家嗣[おおいのみかど いえつぐ]
大炊御門 家嗣(おおいのみかど いえつぐ)は、鎌倉時代前期から中期の公卿。嵯峨と号す。内大臣、正二位、右近衛大将。父は右大臣大炊御門師経。 == 経歴 == 元久2年(1205年)に叙爵して以降、累進し、右近衛少将、遠江権介、伊予権介を経て、建保2年(1214年)に従三位に達して公卿となる。その後も右近衛中将、越前権守、権中納言、中納言、権大納言を経て、寛喜3年(1231年)には後堀河天皇の皇太子・秀仁親王(四条天皇)の春宮大夫に任じられた。貞永元年(1232年)、四条天皇の即位とともに辞職。同年右近衛大将となる。天福元年(1233年)には後堀河天皇の皇后三条有子の皇后宮大夫となり、暦仁元年(1238年)には内大臣に任じられ、仁治元年(1240年)には辞職した。建長元年(1249年)に出家して以降は嵯峨入道と称された。文永8年(1271年)に薨去。享年75。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大炊御門家嗣」の詳細全文を読む
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