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大炊御門経秀 : ウィキペディア日本語版
大炊御門経秀[おおいのみかど つねひで]
大炊御門 経秀(おおいのみかど つねひで、宝永8年3月1日1711年4月18日) - 宝暦2年11月15日1752年12月20日))は、江戸時代中期の公卿中御門天皇(114代)、桜町天皇(115代)、桃園天皇(116代)の三朝にわたって仕え、正二位内大臣まで進む。父は大炊御門経音(権大納言)。母は上杉綱憲米沢藩主)の養女(吉良義央の娘)〔『公卿補任』等では上杉吉憲(米沢藩主)の娘とされているが、吉憲が貞享元年11月8日1684年12月14日)生まれであるため、経秀の生年との差を考えると年齢的に疑問がある。そのため、ここでは『寛政重修諸家譜』に記載されている綱憲養女(経音室)を母としておく。〕。弟に鷲尾隆煕(権大納言)がいる。室は左大臣醍醐冬熙の娘。子に右大臣大炊御門家孝がいる。
正徳2年(1712年)叙爵し、以降清華家当主として早いスピードで累進し、侍従左近衛少将左近衛中将を経て、享保9年(1724年)に従三位に達して公卿に列した。その後も踏歌節会外弁権大納言を経て、延享4年(1747年)に右近衛大将右馬寮御監となる。寛延2年(1749年)に内大臣に就任するも辞職。
== 脚注 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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