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大炊御門経音 : ウィキペディア日本語版
大炊御門経音[おおいのみかど つねなり]
大炊御門 経音(おおいのみかど つねなり、天和2年12月7日1683年1月4日) - 正徳4年4月13日1714年5月26日))は江戸時代前期の公卿。おもに霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)の2代に仕えた。官位は正二位権大納言
大炊御門経光の子内藤義竜の子。大炊御門信名の養子に入り、藤原北家師実流の清華家大炊御門家20代当主となった。貞享3年(1686年)に叙爵し、以降累進して元禄9年(1696年)に従三位となり公卿に列する。元禄12年(1699年)には権中納言となり、元禄13年(1700年)には正三位に昇進。元禄14年には踏歌節会外弁をつとめた。宝永3年(1706年)に従二位となり、宝永5年(1708年)には東山天皇中宮幸子女王の中宮権大夫に就任。宝永6年(1709年)には権大納言に任じられ、正徳4年(1714年)まで在職した。この間の正徳2年(1712年)には正二位にすすんだ。
正室は米沢藩上杉綱憲の養女(高家吉良義央の娘)。子に大炊御門経秀鷲尾隆熙鷲尾隆長養子)、孫に経秀の子の大炊御門家孝、隆熙の子の鷲尾隆建相良頼完がいる。
鎌倉時代に装束着装の家であったことを意識し、装束書を精力的に蒐集したらしく、『雅亮装束抄』(『装束秘抄まさすけ』葉室本・宮内庁)や『良宗卿装束抄』(京都府立総合資料館)『源語装束抄』(宮内庁・斎宮歴史博物館)『物具抄』(斎宮歴史博物館)など、経音所持本から書写もしくは対校された資料は少なくない。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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