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大炊御門良宗[おおいのみかど よしむね]
大炊御門 良宗(おおいのみかど よしむね)は、鎌倉時代中期から後期の公卿。正二位大納言。大炊御門と号す。太政大臣大炊御門信嗣の長男。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 文永5年(1268年)1月29日、従五位下に叙される。文永7年(1270年)2月1日、従五位上に昇叙。文永8年(1271年)10月15日、正五位下に昇叙。文永10年(1273年)3月25日、土佐権介を兼ねる。同年4月12日、左少将に任ぜられる。文永11年(1274年)1月5日、従四位下に昇叙され、同月7日、少将は元の如し。建治元年(1275年)10月8日、従四位上に昇叙。建治2年(1276年)12月20日、正四位下に昇叙。建治3年(1277年)1月29日、陸奥権介を兼ねる。同年4月11日には禁色を許される。弘安元年(1278年)4月19日、従三位に叙される。同月21日、中将は元の如し。弘安2年(1279年)1月24日、美濃権守を兼ねる。同年3月2日には正三位に昇叙。弘安9年(1286年)9月2日、権中納言に任ぜられる。正応元年(1288年)、従二位に昇叙か。正応2年(1289年)12月22日、正二位に昇叙。正応3年(1290年)6月8日、中納言に転正。同年12月25日には権大納言に昇進。乾元元年(1302年)11月22日、大納言に転正。嘉元元年(1303年)9月24日、後二条天皇中宮徳大寺忻子の中宮大夫を兼ねる。嘉元3年(1305年)12月30日、息男冬氏を中宮権大夫に任じるため中宮大夫を辞す。徳治2年(1307年)8月23日、薨去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大炊御門良宗」の詳細全文を読む
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