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大炊御門頼国[おおいのみかど よりくに] 大炊御門 頼国(おおいのみかど よりくに、天正5年(1577年) - 慶長18年5月11日(1613年6月28日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の公卿。主に後陽成天皇(107代)時代の朝廷に仕え、正三位左近衛中将まで昇ったが、後に御所の官女との乱交事件を起こした人物。父は権大納言大炊御門経頼。弟に左大臣大炊御門経孝がいる。 天正6年(1578年)に叙爵し、侍従・左近衛少将をへて、天正15年(1587年)に従三位・左近衛中将となり、公卿に列する。慶長3年(1598年)には正三位となったが、以降長く官位官職の上昇がなかった。 そんな中の慶長13年(1608年)に猪熊教利・烏丸光広・花山院忠長・飛鳥井雅賢・難波宗勝・松本宗信・徳大寺実久らと一緒に御所の官女と密会して乱交に及ぶ事件を起こした。後陽成天皇の勅勘を被り、慶長14年(1609年)に硫黄島へと流された。慶長18年(1613年)、同地で薨去。享年37。 ==関連項目==
*大炊御門家 *猪熊事件
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大炊御門頼国」の詳細全文を読む
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