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大田黒重五郎 : ウィキペディア日本語版
大田黒重五郎[おおたぐろ じゅうごろう]
大田黒 重五郎(おおたぐろ じゅうごろう、慶応2年6月15日1866年7月26日)〔大野 172頁〕 - 昭和19年(1944年7月28日)は江戸出身の実業家
当時経営が悪化していた芝浦製作所(現東芝)を再建し〔西村成弘「外国技術の導入と特許部門の役割:芝浦製作所における特許部門の設立と展開」『国民経済雑誌』(神戸大学)186(4)、2002年10月。〕、同社専務等を務めた後に、各地で水力電気会社を設立した。これらの水力電気会社は現在の東京電力九州電力四国電力などの前身の1つとなっている。
また、二葉亭四迷とは、東京外国語学校および東京商業学校(現一橋大学)での親友であり、四迷は大田黒をモデルに小説『浮雲』を執筆した〔中村光夫「知識階級」 日本ペンクラブ電子文藝館編輯室、2001年)〕。
== 人物 ==
徳川幕府御家人である小牧辰蔵の四男として江戸小石川に生まれ、幕府の没落により3歳のとき一家で静岡へ移住し富士の裾野に帰農。没落士族の辛酸を嘗める。
沼津旧制中学校を卒業後、上京して大学予備門(現東京大学)を受験したが失敗して東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科に入学、二葉亭四迷と親交を結ぶ(のち二葉亭四迷は大田黒をモデルに『浮雲』を書く)。やがて東京外国語学校が東京商業学校と合併し消滅したため、東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業。大田黒惟信の養子となる。
1894年三井物産に入社。1899年から芝浦製作所の再建に努力。1904年、芝浦製作所専務取締役となる。
1906年、箱根水力電気会社(後に横浜共同電燈会社(東京電力の前身1つ)に吸収合併)を創設。以後、九州水力電気(九州電力西鉄グループの前身の1つ)や四国水力電気(四国電力の前身の1つ)など各地で水力電気会社を設立。九州電気軌道社長等も歴任。
1936年、口述による自伝『思ひ出を語る』(河野磐城編、大田黒重五郎翁逸話刊行会)を上梓。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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