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大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は、山口県光市出身の元プロ野球選手(投手)。1983年の登録名は大町 定生(読みは同じ)。 現在は阪神球団職員。 == 来歴・人物 == 柳井商業高校卒業後、社会人野球の新日鐵光に進む。1973年のドラフト会議で太平洋クラブライオンズに6位指名されるが拒否〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、112ページ〕。1975年のドラフトにもロッテオリオンズに2位指名されたが、これも拒否し新日鐵光でプレーを続けた〔。 1978年にはチーム創部17年目の都市対抗初出場を果たし、1回戦で先発するが日本通運に惜敗〔「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年〕。この時のチームメートに大町をリリーフした山本和男がいる。1979年の都市対抗では、これも初出場の三菱重工広島の補強選手として出場。1回戦から5連投で3勝を記録、決勝でも先発し熊谷組に9回逆転勝ち、初優勝の原動力となった〔。最高殊勲選手に与えられる橋戸賞を受賞。同年オフにドラフト外で阪神入団〔。社会人2年目から、かけだしたサングラス「偏光グラス」がトレードマークだった。 1年目の1980年から主に中継ぎとして37試合に登板。翌1981年には抑えとして7勝8セーブ、50試合に登板し80イニングで防御率1.91の成績を収めた。1982年には4月末から先発陣の一角として起用されるが結果を残せず、翌1983年には登板機会が減り、同年限りで現役引退〔。実働わずか4シーズンであった。 引退後は、スコアラーやマネージャーを歴任し、2000年には営業部の課長に昇進した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大町定夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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