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大石又七 : ウィキペディア日本語版
大石又七[おおいし またしち]
大石 又七(おおいし またしち、1934年 - )は、反核運動家。
== 経歴 ==
静岡県榛原郡吉田町生まれ。1948年から漁師となった。第五福竜丸の甲板員・冷凍士として出航中の1954年3月1日ビキニ環礁での核実験キャッスル作戦#ブラボー実験)で被爆し(ビキニ事件)、入院生活を送った〔『これだけは伝えておきたいビキニ事件の表と裏―第五福竜丸・乗組員が語る』著者紹介 紀伊國屋書店〕。被爆者への無理解や偏見に耐えきれず、1955年東京都内に移住、2010年末までクリーニング店を営んだ〔「ザ・特集:福島第1原発事故11カ月 『死の灰』の教訓、どこへ 大石又七さんに聞く」 『毎日新聞』東京朝刊、2012年2月16日 〕。
差別や偏見が家族に及ぶことを恐れ、被爆について長年沈黙を貫いていたが、仲間の乗組員らががんなどで相次いで死去する中、1983年都内の中学生にビキニ事件について初めて話した〔。これ以降、被爆体験を語り、核廃絶を訴える活動をすすめている。築地にマグロ塚を作る会主宰、財団法人第五福竜丸平和協会評議員〔。
放射線や内部被曝の危険性を訴え続け、「ビキニ事件と福島第一原子力発電所事故は、内部被曝を引き起こすという意味で本質的には全く同じ」と述べている〔。また、ビキニ事件と日本原子力発電導入の関係や、ビキニ事件被爆補償の問題点について発言している〔被爆体験聞き書き行動第1回実行委員会「ビキニ事件~忘れられた被爆者~」元第五福竜丸乗組員 大石 又七さん 2002年09月28日 コーププラザ浦和 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大石又七」の詳細全文を読む



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