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大竹 伸朗(おおたけ しんろう、1955年10月8日 - )は、日本の現代美術家。 == 経歴 == 東京都目黒区出身。 小学生の頃は漫画家になりたかったため、アニメのキャラクターを描き溜めては近所にあったアニメスタジオへ見せに行っていた。スタッフの人が褒めてくれ、帰りにセル画を貰えるのが嬉しかったという。中学生時代にはサッカー、ロック、絵に没頭する。兄の持っていたレコードや画集を見聞きし、もの凄く影響を受けたという〔日本造形教育研究会 2012『新 美術 表現と鑑賞』開隆堂出版 138ページより〕。 小学校時には大田区六郷に住んでいて巨人の多摩川グラウンドによく通った〔『ぼくのしょうらいのゆめ』プチグラパブリッシング、2006年、42ページより〕。広岡達朗のファンだったという〔。小学校3年の時、練馬区に転居〔。 1974年、東京芸術大学に落ち、武蔵野美術大学油絵学科に入学するも、一週間で休学。北海道別海町の牧場で働く。翌年から北海道各地を巡り絵を描いたり写真を撮ったりして過ごす。 1977年から1978年、イギリスに留学。同地で様々な情景を撮影、またスケッチなどをし、その作品をまとめて作品集を出版する。 1980年、武蔵野美術大学油絵学科卒業。ノイズバンド「JUKE/19」結成し、自主制作でアルバム発売。 1982年から個展を開始。以後絵本、写真、立体、コラージュやパフォーマンスといった多種多彩な表現をみせる。ガラクタや巨大なゴミを媒介にしての作品を特徴とする。アメリカなどでも個展を開催している。 1988年より愛媛県宇和島市に移住。以降、活動の拠点とする。 1995年、山塚アイとパフォーマンスユニット「パズル・パンクス」を結成する。 2006年、東京都現代美術館で大回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」を開いた。また、以前働いていた北海道別海町の牧場で個展を開いた。香川県直島の家プロジェクトの「はいしゃ」に作品「舌上夢/ボッコン覗」を発表。 2007年、雑誌「風の旅人」の表紙を制作。第25号から30号まで行う。 2009年、香川県直島で、銭湯「I♥湯(アイラブゆ)」をオープン〔。 2012年、ドイツのカッセルで5年に一度開催される第13回ドクメンタに参加〔。 2014年、平成25年度(第64回)芸術選奨文部科学大臣賞美術部門受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大竹伸朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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