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大谷勝信[おおたに しょうしん] 大谷 勝信(おおたに しょうしん、 1878年(明治11年)9月23日-1951年(昭和26年)6月26日 )は、浄土真宗の僧で、真宗大谷派連枝。同派桑名別院本統寺・大垣別院開闡寺住職。院号は慧日院。法名は厳量。幼名は信麿。別号は皐蘭。 == 来歴 == 東本願寺第21世法主・大谷光勝(厳如)の九男として生まれる。母は伏見宮邦家親王の四女・和子。 1887年(明治20年)に桑名別院本統寺住職に就任。1898年(明治31年)より大谷瑩誠と中国上海に赴き、東本願寺により杭州・蘇州・南京に創立された日文学堂に関わる。さらに1900年(明治33年)には大垣別院開闡寺住職を兼務。その後も、寺務総長や宗学院院長などの宗派の要職を歴任した。 1951年(昭和26年)6月26日、73歳(享年75)にて逝去。
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