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大谷 圭志(おおたに けいし、1983年4月17日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の元サッカー選手。ポジションは主に守備的ミッドフィールダー。 元サッカー選手の大谷昌司は双子の兄である。元U-18(18歳以下)日本代表。 ==来歴== 小学校3年生の時にサッカーを始める。 1999年に前橋育英高等学校へ進学。3年時には同期に兄・大谷昌司や相川進也、阿久澤剛、浅川智、岡本勇輝、佐田聡太郎、里見仁義、須田剛史、坪内秀介のいるチームで主将に就いた〔群馬県代表 私立 前橋育英 (2年ぶり10回目) スポーツナビ〕〔6人がJリーグ入り 前橋育英高サッカー部 読売新聞 (2002年1月30日)〕。同年度の全国高校選手権本大会直前に左膝前十字靭帯断裂という重傷を負ったが〔 手術を延期してベンチ入りし、チームを鼓舞した〔 東京中日スポーツ (2002年1月10日)〕。 2002年に高校を卒業し、Jリーグ・FC東京に入団〔 FC東京 (2001年10月10日)〕。長期のリハビリを経て同年11月に練習に合流した。プロのプレー判断の速さに慣れる機会を逃してしまったが〔 東京中日スポーツ (2004年6月18日)〕、2003年にはJサテライトリーグでボランチやサイドバックを務め〔〔選手出場記録 Jリーグ (2003年10月19日)〕、2004年に入った頃には、持ち前の粘り強い守備〔と思い切りの良いプレーを発揮しつつあった〔。 2004年6月、JFL・ザスパ草津へ期限付き移籍〔 FC東京 (2004年6月15日)〕。自身の希望ポジションでもある〔 ボランチに配され、初出場となった同月末のJFL前期第15節佐川急便大阪SC戦で早速得点を挙げ〔 日本フットボールリーグ (2004年6月26日)〕レギュラーに定着。後期第12節大塚製薬SC戦の負傷退場〔 日本フットボールリーグ (2004年11月5日)〕に至るまで中盤の守備でチームを支え、翌年からのJリーグ昇格に大きく貢献した。2005年に草津へ完全移籍加入〔 FC東京 (2004年12月1日)〕。大塚戦での重傷により同年をリハビリに費やし、2006年に戦線復帰したが、チーム内で定位置を確保できず、この年限りで草津との契約を満了。選手生活を退いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大谷圭志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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