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大谷 智子(おおたに さとこ 1906年(明治39年) 9月1日 - 1989年(平成元年)11月15日)は、日本の元皇族。旧名は智子女王。香淳皇后の妹。お印は萩。東本願寺第24世法主・大谷光暢の妻。東本願寺裏方。院号は歌徳院。法名は如智禅尼。 == 生涯 == 1906年(明治39年) 9月1日、久邇宮邦彦王の第三王女として東京で生まれ、学習院初等科を卒業。 浄土真宗の宗祖親鸞の末裔で東本願寺の住職を世襲した大谷家(伯爵家)の法嗣(法主後継者)・大谷光暢と婚約したことから12歳で京都へ移り、京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)を卒業後、 1924年(大正13年)5月3日、大谷家に降嫁した。 仏教精神に基づく女子教育を願い、1939年(昭和14年)に光華女子学園を創設し、総裁に就任。さらに、大谷婦人会会長や全日本仏教婦人連盟初代会長を務め、また、合唱グループ「大谷楽苑」を結成し、仏教音楽の普及にも尽力した。 また、大谷家と改革派の主導する真宗大谷派内局とに生じた紛争(お東騒動)においては、一貫して四男・大谷暢道(のちの大谷光道)を支持し、この紛争に重要な影響を与えたともいわれる。 1989年(平成元年)11月15日、病の為に逝去。享年84(満83歳没) 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大谷智子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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