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大野 功統(おおの よしのり、1935年(昭和10年)10月16日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。 防衛庁長官(第70・71代)、文部科学副大臣(第2次森改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第62代)、衆議院議員(8期)等を歴任した。 元衆議院議員の加藤常太郎は岳父、衆議院議員の大野敬太郎は長男。 == 来歴 == 日本統治時代の台湾生まれ〔首相官邸ホームページ 〕。父は大野乾、母はカツエ〔プロフィール 〕。 台湾で第二次世界大戦敗戦を迎える。小学校が閉鎖されたため、引き揚げまでは新聞配達のアルバイトをして過ごしていた〔。1947年、香川県三豊郡豊浜町(現観音寺市)に引き揚げ〔。高松第一高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、大蔵省に入省。入省同期に柿澤弘治(元外務大臣)、尾崎護、角谷正彦ら。国際機構課長を経て退官し、1978年に香川県知事選挙に出馬したが、惜敗。1986年、第38回衆議院議員総選挙に、引退する岳父・加藤常太郎に代わり自由民主党公認で旧香川県第2区から出馬し、初当選する。1996年以降は小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、香川県第3区から出馬し当選を重ねる。 2004年、第2次小泉改造内閣で防衛庁長官に任命され、第3次小泉内閣まで務める。2007年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟・自民党朝鮮半島問題小委員会を立ち上げ、副委員長に就任した。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党に全国的に猛烈な逆風が吹き荒れる中、香川3区で8回目の当選。2011年6月、同じ近未来政治研究会(山崎派)に所属する甘利明元経済産業大臣が立ち上げた政策グループ「さいこう日本」に参加。2012年8月、次期衆議院議員総選挙に出馬せず、政界を引退する意向を表明した〔大野氏「明鏡止水の心境」 今期限り政界引退表明 〕。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、香川3区からは大野の政策秘書である長男・敬太郎が自民党公認で出馬し、初当選した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野功統」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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