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大野 将平(おおの しょうへい、1992年2月3日 - )は、山口県山口市出身の日本の柔道選手。階級は73kg級。身長170cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は大外刈と内股〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号〕。現在は旭化成に所属〔スタッフ・選手紹介 / 柔道部 〕。 ==人物== 柔道は7歳の時に松美柔道スポーツ少年団で始めた〔。道場の2年先輩には後に無差別の世界チャンピオンとなる上川大樹がいた。その後、2歳上の兄である哲也を追って上京すると、講道学舎の所属となった〔「金メダリストインタビュー 大野将平」近代柔道 ベースボールマガジン社、2010年12月号〕。世田谷区立弦巻中学校から世田谷学園高校へ進むと、2年の時にはインターハイ73kg級で森下純平を破って優勝を果たした〔。天理大学1年の時にはグランドスラム・東京に出場して5位となった。2年になると全日本ジュニアで優勝した〔。そして世界ジュニアでも優勝を果たした〔男女4階級で優勝=世界ジュニア柔道 時事通信 2011年11月5日〕。 2012年2月にはワールドカップ・オーバーヴァルトに出場して、シニアの国際大会初優勝を飾った〔柔道男子W杯、73キロ級で大野将平が優勝 読売新聞 2012年2月12日〕。11月には講道館杯決勝で大学の1年後輩である土井健史に内股で一本勝ちして初優勝を飾った〔康生監督イチ押し 大野が決勝1本勝ち デイリースポーツ 2012年11月10日〕。12月のグランドスラム・東京では、決勝で綜合警備保障の中矢力に一本勝ちしてグランドスラム大会初優勝を飾った〔大野将平、津金恵がV…柔道グランドスラム 読売新聞 2012年12月1日〕〔大野「一本を取る柔道できた」/柔道 日刊スポーツ 2012年12月1日〕。 2013年5月の体重別では3位に終わったが、国際大会などでの実績が評価されて世界選手権代表に選ばれた〔 読売新聞 2013年5月12日〕。8月の世界選手権では、初戦で元世界チャンピオンである韓国の王己春を反則負けに追いやるなどして順調に決勝まで進むと、決勝ではロンドンオリンピック銅メダリストであるフランスのウゴ・ルグランを跳腰で破り、6試合オール一本勝ちで優勝を飾った。この際に、「前に出る攻撃的な柔道ができた。全て一本で勝てたことは満足している。勝ち続ける選手になりたい。もっと強くなってリオ五輪でまたここに戻って来たい」と語った。また、団体戦でチームは3位だったものの、こちらでも全て一本勝ちして、個人戦と団体戦の計10試合をオール一本勝ちで飾ることになった〔 時事通信 2013年8月29日〕〔世界柔道・談話 時事通信、2013年8月29日〕〔 スポーツ報知 2013年9月2日〕。その直後に下記の天理大柔道部の暴行事件発覚で、強化指定選手取消、停学、活動停止、主将解任の処分となった〔天理大・世界柔道金の大野将平が主将解任 日刊スポーツ 2013年9月5日〕。 卒業後、2014年からは旭化成所属となった。暴力問題以降初の大会出場となった4月の選抜体重別では、決勝で中矢に浮落で一本勝ちして今大会初優勝を飾り、世界選手権代表に選出された〔 時事通信 2014年4月6日〕。続いて、世界チャンピオンになったことから推薦により無差別で争われる全日本選手権に出場すると、2回戦で100kg級の穴井亮平を判定で破るものの、3回戦で100kg超級の王子谷剛志に指導3で敗れた〔 MSN産経ニュース 2014年4月29日〕。8月の世界選手権では4回戦で韓国の李栄淮に一本負けを喫して2連覇はならなかった〔 スポーツニッポン 2014年8月27日〕。世界団体決勝では地元ロシアの選手と対戦して敗れたものの、チームは3-2で優勝を飾った〔 日本経済新聞 2014年8月31日〕。12月のグランドスラム・東京では、決勝で了徳寺学園職員の秋本啓之に有効で敗れて2位にとどまった〔。 2015年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは、準決勝の技あり以外は全て一本勝ちして優勝を果たした 〔大野、一本勝ちで優勝 女子70キロ級・新井もV ドイツGP スポーツニッポン 2015年2月22日〕。4月からは天理大学の大学院へも進んで、ロサンゼルスオリンピックの60kg級金メダリストである細川伸二の指導を受けることになった〔 産経新聞 2015年12月26日〕。選抜体重別では準決勝でパーク24の橋本壮市に有効で敗れた。しかしながら、金メダルに近い存在だとして、世界選手権の代表に追加で選出された〔 日刊スポーツ 2015年4月30日〕。8月の世界選手権では準々決勝ではヨーロッパチャンピオンであるイスラエルのサギ・ムキに技ありと有効3つを取って圧勝、準決勝では韓国の安昌林に裏投げで一本勝ちすると、男子では1975年の世界選手権以来40年ぶりの日本選手同士の対決となった決勝では、世界チャンピオンの中矢を小外刈の技ありで破って、2013年以来2年ぶりの世界選手権優勝を果たすこととなった〔 読売新聞 2015年8月26日〕〔 スポーツ報知 2015年8月26日〕〔Championships 2015, Astana - DAY 3 〕。世界団体では準決勝のドイツ戦で勝利して、チームの優勝に貢献した〔柔道世界選手権 日本経済新聞 2015年8月30日〕。なお、世界選手権後のインタビューでは、柔道という競技は世界選手権で勝っても世間からは評価されないし、オリンピックに出れなかったり、出場しても負ければ全く意味をなさなくなるので、オリンピックに出場して必ず金メダルを取りたい。また、そういう部分にやりがいがあると語った〔〔金メダルがある【大野将平 インタビュー】 テレビ東京〕。 2016年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは準決勝でアンを内股の技ありで破ると、決勝ではアゼルバイジャンのルスタム・オルジョフをも内股の技ありで破って、今大会2連覇を達成した。試合後には、「全ては8月。そこで勝たなければ意味がない」と語った〔 スポーツニッポン 2016年2月21日〕〔 時事通信 2016年2月21日〕〔 日刊スポーツ 2016年2月21日〕。4月の選抜体重別では決勝で中矢を指導1で破って今大会2年ぶり2度目の優勝を飾り、リオデジャネイロオリンピック代表に選出された〔 日刊スポーツ 2016年4月3日〕。代表決定後の会見では、「全て(の経験)をリオにつなげられればいい。必ず金メダルを獲得したい」とコメントした〔 サンケイスポーツ 2016年4月4日〕 IJF世界ランキングは1554ポイント獲得で6位(16/5/2現在)〔World ranking list 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野将平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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