翻訳と辞書 |
大野毛利家[おおのもうりけ] 大野毛利家(おおのもうりけ)は、江戸時代の毛利氏の一門家老のひとつ。吉川広家の次男・毛利就頼を祖とする(三男説もあり)。 == 概要 ==
石見国の吉見氏は、毛利元就の防長経略後は毛利氏に従っていたが、当主吉見広長が出奔する。そこで、当時6歳とされる吉川広家の次男が、先代当主・吉見広頼の五女と婚約して婿養子となり、家督を継承して吉見政春と名乗った。出奔していた広長は、毛利輝元に謝罪して毛利家に戻っていたが、1618年(元和4年)に謀反の疑いで討たれており、吉見氏嫡流は断絶した。1637年(寛永14年)になり、長州藩主・毛利秀就より周防熊毛郡(現在の山口県熊毛郡)で約8,600石を与えられ、熊毛郡大野(現在の山口県熊毛郡平生町)に屋敷を構えた。この時、毛利姓を名乗ることを許されたため、以降は大野毛利と言われた。 大野毛利家の家紋は、毛利氏の「一文字に三つ星」ではなく、吉見氏の「丸に二つ引(引両紋)」に類似する紋である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野毛利家」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|