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大野真鷹 : ウィキペディア日本語版
大野真鷹[おおの の またか]
大野 真鷹(おおの の またか、延暦元年(782年) - 承和10年2月3日843年3月7日))は、平安時代前期の貴族左近衛中将大野真雄の子。官位従四位下・右近衛中将。子に春鷹がいたとする系図がある〔鈴木真年『百家系図稿』巻1,大野〕。
== 経歴 ==
弘仁元年(810年春宮坊主馬首に任ぜられて皇太子・大伴親王(のち淳和天皇)に仕え、左兵衛少尉右衛門少尉を経て、弘仁12年(821年従五位下叙爵。のち、散位頭大監物・左兵衛佐を歴任する。〔『続日本後紀』承和10年2月3日条〕
淳和朝に入ってまもなく、天皇の皇太子時代からの旧臣であるとして従五位上・右近衛権少将に任ぜられると、天長7年(830年正五位上・右近衛中将、天長9年(832年従四位下と順調に昇進した。天長10年(833年)2月に淳和天皇が退位して有閑の日々を過ごすようになっても、なおも真鷹は朝廷に出仕し続けるが、同年11月の大嘗会の警固の陣に供奉しその陣が解かれると、真鷹は帯びていた武具を右近衛権中将・藤原助に贈り、山城国綴喜郡の邸宅に退去して隠棲し、出仕を取りやめた。〔
その後、紀伊権守に任ぜられるが赴任することなく、承和10年(843年)2月3日卒去享年62。最終官位散位従四位下。〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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