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大野規周
大野 規周(おおの のりちか、文政3年1月28日(1820年3月12日) - 明治19年(1886年)10月5日)は江戸時代後期の時計師、造幣寮技師。江戸神田で家業の時計師を営み、幕末福井藩に召し抱えられ、幕府海軍の下オランダに留学し、帰国後大阪造幣寮で技官を務めた。 == 生涯 == 文政3年(1820年)1月28日、江戸神田松枝町の時計師大野家に生まれた。祖父弥五郎規貞、父弥三郎規行も時計師で、伊能忠敬に測量器具を提供したことで知られる。弘化2年(1845年)父規行が死去し、家督を継いだ。嘉永2年(1849年)横山町三丁目玉屋吉次郎の測量器具の引札が残っている。 安政2年(1855年)明道館を作った福井藩に召し抱えられて本所中之郷の下屋敷に住み、ゲベール銃等の製作を行った。安政4年(1857年)アメリカ合衆国渡来の電信機を浜御殿で実演した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野規周」の詳細全文を読む
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