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大野駅(おおのえき)は、福島県双葉郡大熊町大字下野上字大野にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。 福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域内に位置するために、付近への立ち入り自体が禁止されている。 == 歴史 == === 主な出来事 === 1898年(明治31年)に富岡駅と長塚駅(現在の双葉駅)の両駅が設置されたが、大野村からはどちらの駅も遠く、鉄道の利用客は少なかった。そこで、1903年(明治36年)に大野村議会において当地に停車場誘致を議決した。その後日本鉄道株式会社と「駅設置に関する3600坪を村で買収、これを日本鉄道株式会社に大野村名義で無償譲渡する。ただし設置は村請負とする。」とした契約が行われた。土地代金は2775円で当時の大野村年間予算の約2倍だった。 1920年に就職したある元駅員によると、当時の平均的な勤務は朝8時から翌朝8時までとなっていたが10名の駅員に睡眠時間の設定は全く無かった。駅舎に電灯は無く、夜の事務はランプが必須であった。ランプは駅の南北の分岐器、各種信号機にも据え付けられ、その清掃が当時の日課であった。1980年代には分岐器は水戸局からの遠隔操作、駅側の運転関係責任も無くなり、停電時には自家発電機が点火される状態となっていた状況と比較し、近代化に隔世の感を綴っている。 1928年2月24日正午頃、約40mの突風が当駅を吹き荒れ、上り線ホームと貨物ホーム上屋、官舎が倒壊、本館の屋根瓦が吹き飛ばされる損壊を受けた〔「常磐線大野駅 烈風に襲はる 本館と官舎滅茶滅茶」『読売新聞』1928年2月25日朝刊7面〕。 当時の国鉄一般の例にもれず、太平洋戦争中から戦争直後までは女子職員も在籍し、復員者が復職した際には21名と定員過剰を生じた。国鉄は急速に定数を戻す必要に迫られ間もなく定員は16名となったが、第二次行政整理の結果1949年には定員は12名となった。 1957年5月17日20時15分頃、下り急行北上が当駅-長塚間(当時)を走行中脱線し機関士、機関助士、一部旅客が死亡する惨事が発生した〔「常磐線で急行「北上」転覆 4人死亡29人重軽傷」『読売新聞』1957年5月18日朝刊7面〕。現場は分岐器も無く雪解けも終わっており人為的な要因が疑われ、結局あるトラックが浜街道第6ガードに積み荷をぶつけて軌道を歪めたことが原因と判明し、運転手は業務上過失致死傷他の実刑を求刑された〔「北上転覆事件に求刑」『読売新聞』1958年12月26日朝刊9面〕。 福島第一原子力発電所建設の為、東京電力の調査仮事務所が当駅前に1963年8月に設けられたことがある〔「福島第一原発歴史を一冊に」『朝日新聞』2008年3月28日朝刊31面〕。 1975年にはCTC化と共に更なる配置転換がなされ当駅の定員は8名から3名となった。 1986年6月の大熊町議会にて、隣駅の長塚駅が双葉駅に改名されたのに倣い、当駅の駅名を町名と同じ大熊駅に改名する提案がなされたことがあるが、町長は「駅名の改名は国鉄がやることであって、町が独自にやる分にはいかない」「莫大な経費がかかり、現在の国鉄の状況では到底この問題を持ち込んでもだめだろうし、「大熊駅」というよりは大字下野上字大野にある駅であるから「大野駅」でよいのではないか」と答弁した。 1987年に駅舎が改築された。竣工前の『広報おおくま』に載った町議会要旨によれば費用は2億数千万とされている。またこの改築により駅東西に通じる人道橋を設けることも目的の一つであった。当時は国鉄分割民営化前夜であり、従来設計施工は国鉄に一任していたものが、駅機能以外の施設の施工は自治体独自の考えで実施する方法もあり得るとされていた。また、東京電力のPRスペースや当時のいわき駅ビル(1973年竣工)のようなテナント付の民衆駅とする案も俎上に出された一方で、地元商店会の利益についても考慮するなど「八方良かれ」という考えが町長より答弁されている。 1990年代になるとバリアフリー化の観点から行政より一日5,000人以上の利用者がある駅についてエレベータの設置が求められるようになった。当駅は1980年代に駅舎を建替えしたが、その後上記の事情を承知しつつ、当駅にエレベータの設置が提案された。その後も1999年の議会質問で、スーパーひたちの停車回数が増加したこと、ステーションプラザおおくまが建設中であること、県立大野病院が建て替えを予定していることなどを理由として再度設置が求められた。1999年の第三回定例会では大野病院改築が2002年に竣工することからこれを目標にすることが提案され、この時に町長は態度を転換、地方財政法の規定で営利目的の民間企業に補助金を出せないため、設置目的(高齢者、身体障害者の利用)によりクリアする方向で検討を開始した。その後2001年度の補正予算で設置工事費を計上し、改築竣工前に完成した。 2000年頃になると町議会での当駅の扱いも「駐車場や道路は十分整備され」たという認識となり、サイクルスタンドの増設などが課題とされるようになった。 本町は人口・面積からすると3名程度の警察官が必要とされた。この事と絡め、2ヵ所ある駐在所を当駅前に統合し、複数名勤務の交番とする提案がなされたことがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大野駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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