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大間成文抄(おおまなりぶみしょう)は、鎌倉時代初期に九条良経によって著された除目における任官の先例を分類集成した史料集。全10巻(ただし、一部は欠失)。引用された事例などから建久年間に著されたものと推定されている。 書名については彰考館本・内閣文庫本(流布本系)の表題から除目大成抄(じもくたいせいしょう)とも呼ばれるが、古い写本の形態である九条家由来の宮内庁書陵部本(九条本系)の表題が「大間成文抄」と記されていることや、流布本の元となった写本を作成した三条西実隆の日記(『実隆公記』)にも「大間成文抄」の名前が記されていることから、こちらが本来の書名と考えられている〔時野谷『国史大辞典』。〕。 == 概要 == 「大間」とは大間書のことで、毎年の除目の際に欠員が生じている官職の名称を記載して、除目の際に任官者の氏名を空欄に埋めていった文書である。 「成文」とは任官希望者が除目前に提出した申文のうち、実際に除目によって実現したものを指す。 大間成文抄は、大間書の記事を抜き出して、年給・臨時給・成功・(官司の)挙奏・巡任・兼国などの任官事由ごとに分類し、次に当該任官に関連した成文や年労・上日などを記した勘文の採録、更に先例となる年時を掲げたり、その他注記を記載している。その先例は昌泰元年(898年)から建久7年(1196年)の300年間近くに及び、除目の決定事項を大間書に記載する執筆(しゅひつ)の大臣を摂関家(御堂流及び九条家)出身の大臣が務めた際の先例〔藤原道長から九条良経までの直系の人々(ただし、大臣就任の直後に摂関に昇った藤原頼通を除く)と藤原教通・藤原頼長が執筆の大臣を務めたもの。〕が多い。巻1-5巻は外官、巻6-9巻は京官(ともに春除目)、巻10は秋除目と大間書の訂正方法に関する解説が記載されている。 原本は今日には伝わっておらず(ただし後述のように一部の巻は中世後期まで伝わっていた)、九条良経の孫である教実が安貞元年(1227年)写本して九条家に伝えられた九条本と戦国時代初期の明応6年(1497年)に三条西実隆が九条良経自筆の原本を写本し、欠けている巻(巻4-6)を九条本で補ったもの〔黒板『日本史大事典』。〕が広まった流布本がある。ただし、九条本は一部の巻の写本が未完成のまま教実が早世したため、10巻のうち1巻は教実没後に補われ、教実が写した巻の中にも途中以後が記されていないものがある。その影響は原本の欠を九条本で補った流布本にも及び、今日巻5と巻9の一部が欠失している〔吉田『平安時代史事典』。〕。また、『魚魯愚鈔』など後世の多くの除目に関する文献でも同書の記事が引用されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大間成文抄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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