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大関 増勤(おおぜき ますとし)は、下野黒羽藩の第16代(最後)の藩主。 == 来歴 == 嘉永2年(1849年)1月5日、丹波山家藩主谷衛滋の庶子として生まれる。一説に、常陸府中藩主松平頼説の三男・頼功の三男とする説もある。慶応3年(1867年)12月に黒羽藩の第15代藩主大関増裕の死去により、慶応4年(1868年)3月5日に養子として家督を相続する。 戊辰戦争では新政府に恭順した。11月21日に従五位下美作守に叙位任官する。明治2年(1869年)6月2日、新政府より永世賞典禄として1万5000石を与えられる。6月22日には版籍奉還により黒羽知藩事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で知藩事を免職され、8月15日に東京へ移った。 明治5年(1872年)2月にアメリカへ留学し、明治6年(1873年)に帰国。明治7年(1874年)に大講義に任じられた。 明治17年(1884年)、子爵。明治18年(1885年)7月12日に勲四等、明治20年(1887年)12月26日に正五位、明治25年(1892年)に従四位、明治30年(1897年)7月22日に正四位、明治36年(1903年)6月30日に従三位、明治38年(1905年)8月8日に正三位勲三等に叙され、瑞宝章を授与される。 8月9日に東京帝国大学病院で死去した。享年57。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大関増勤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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