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大阪市交通局2001形電車 : ウィキペディア日本語版 | 大阪市交通局2001形電車[おおさかしこうつうきょく2001がたでんしゃ]
大阪市交通局2001形電車(おおさかしこうつうきょく2001がたでんしゃ)とは、大阪市交通局が保有していた路面電車車両である。1951年から1952年にかけて40両が製造された。 == 2001形登場の背景 == 戦災で大きな痛手を受けた大阪市電も、1711,1751形や1801形といった大型車の投入をはじめ、戦災で被災した旧2001形や旧2011形などの復旧工事を進めたことによって、輸送力の確保に務めた。また、戦災で被害を受けた路線も、中之島線や安治川築港線など、代替路線があったり港湾拡張で道路が分断されて廃止した路線を除いて、1950年の賑橋 - 大国町間の復旧を最後に全線復旧した。 1950年代に入ると、戦前の水準に復興した大阪市電は、1950年7月の今福線東野田 - 蒲生町四間、百済線寺田町 - 百済間の延伸を皮切りに、新たに大阪市へ編入された地域への路線延長を開始した。その一方で増大する人件費の抑制が求められるようになり、ラッシュ時以外は、大型車の運転手1名車掌2名の乗務を運転手、車掌各1名として後部扉を締切扱いにすることや、従来信号塔にポイント捜査員が常駐してポイントの切替を行っていたものを、架線にトロリーコンタクターを設けて自動化し、ポイント切替の無人化を図るなど、業務の合理化が図られるようになった。車両運用の面でも、大型車は戦後大量増備した1711・1751形や1801形をはじめ、戦前から活躍する1001・1501・1601形、戦時中に登場した1651・1701形、旧阪堺電鉄(新阪堺)引き継ぎの1201・1301・1401形で需要を満たすことができたことから、2001形は、経営合理化のために旧2011形以来の中型車として登場した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪市交通局2001形電車」の詳細全文を読む
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