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大阪市立中津南小学校(おおさかしりつ なかつみなみしょうがっこう)は、大阪府大阪市北区中津六丁目にあった公立小学校。 中津のうち阪急電鉄の線路以西の地域と、大淀北1丁目の一部を校区としていた。児童数の減少により、2010年3月に閉校した。学校跡地は2011年8月より、大阪YMCAインターナショナルスクールに転用されている。 == 沿革 == 当時の西成郡中津村で2番目の小学校として、大阪市中津第一尋常高等小学校(現在の大阪市立中津小学校)から分離する形で、1916年に西成郡中津第二尋常小学校として開校した。 1922年は、新淀川開削によって隔てられた、当時の中津町成小路(現在の淀川区新北野付近)に設置された成小路分教場を、中津第一尋常高等小学校より移管した。成小路分教場は1925年3月に独立し、大阪市中津第三尋常小学校となった〔戦災により1946年に神津小学校へ統合され廃校となっている。〕。 1925年には大阪市への編入に伴い大阪市立となっている。また1941年には国民学校令により、大阪市中津南国民学校と称した。 太平洋戦争に伴い、1944年には京都府天田郡西中筋村・上六人部村・中六人部村・下六人部村(現在の福知山市)へと学童集団疎開をおこなっている。また1945年6月1日・6月7日の大阪大空襲により、木造校舎が全焼するなどの被害を受けた。 戦災で校舎・校区の被害が大きかったため、1946年に大阪市中津国民学校(1947年に大阪市立中津小学校へ改称)へと統合され、一時休校となっていた。 1954年には大阪市立中津南小学校として独立・再開した。しかし2002年度・2003年度の2年間は大阪市の学校では珍しい複式学級を導入するなど、1学年1クラス・児童数100人に満たない小規模の状況が長期にわたって続いていた。 そのため大阪市の学校規模適正化の対象校となった。地域住民との協議により、大阪市立中津小学校に統合する(ただし大淀北については大阪市立大淀小学校校区へ編入)形で2010年3月に閉校した〔 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大阪市立中津南小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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