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大須球場[おおすきゅうじょう]
大須球場(おおすきゅうじょう)は、1947年から1952年にかけて愛知県名古屋市中区大須にあった野球場。 == 概要 == 名古屋大空襲で焼失した本願寺名古屋別院(西別院)の再興と大須の発展のため、大須七ツ寺勤労協和会を中心に愛知県と名古屋市の協力も得て境内に開設〔「大須球場開設 一日から記念野球」『大須レトロ 名タイ昭和文庫2』名古屋タイムズ・アーカイブス委員会編、樹林舎、2010年、pp.110-111〕。センターからレフト、ライトは膨らみがなく一直線になっており、フェンスが低いため非常に本塁打が出やすい球場であった(『巨人軍5000勝の記憶』で千葉功は「いわば『校庭グラウンド』」と表現している)。プロ野球公式戦以外にもノンプロや高校、軟式の野球場として利用、女子プロ野球も行われた。オートレースやダンスパーティーなどにも使用されていた。収容人員は1万人。球場主には大須七ツ寺勤労協和会会長の高島三治が就いた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大須球場」の詳細全文を読む
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