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大黄虎前進 : ウィキペディア日本語版
太牙虎五郎[たいが とらごろう]

太牙 虎五郎(たいが とらごろう、1980年7月21日 - )は、モンゴル国ウランバートル出身で式秀部屋に所属していた元大相撲力士。本名はスミヤバザル・シャラブニャンブー。現役時代の体格は身長183cm、体重124kg、血液型O型。最高位は東幕下19枚目(2013年7月場所)。
== 人物 ==
大相撲で活躍していた親戚の旭鷲山をつてに、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日。大阪府内の摂津倉庫相撲を習った〔この会社には以前、幕内大飛翔も所属。〕。その後、千昇と共に先代式秀親方(元小結大潮)に引き取られることになって式秀部屋に入門。2001年3月場所で初土俵。同期生には、千昇のほかに同時にモンゴルから来日した白鵬翔天狼猛虎浪大勇武のほか、北勝国もいる。
2004年7月場所、三段目で6勝1敗の好成績をあげて翌9月場所幕下に初昇格。この場所では鶴竜、千昇、大恩児大鷹浪、大天山の5人のモンゴル出身力士も同時に幕下に昇進して話題となった。しかし、1勝6敗の大敗を喫して1場所で三段目に降格。2006年5月場所で2度目の幕下昇進をするが、翌7月場所を負傷のため途中休場して三段目に再び降格。2008年11月場所で4度目の幕下昇進をしてからは幕下に定着していたが、2010年7月場所を怪我で途中休場してから成績不振が続き、三段目の土俵も多くなったが、2012年5月場所で7度目の幕下昇格を果たしてから再び幕下に定着し、同年11月場所では自己最高位を2年ぶりに更新している。東幕下43枚目で迎えた2013年5月場所では大砂嵐とともに初日から6連勝とし、優勝を争ったが、7番目の相撲は別々の相手と組まれ、大河は星違いの若三勝に敗れ、大砂嵐が十両の明瀬山に勝利したため、大砂嵐が幕下優勝を果たし、大河自身初の各段優勝はならなかった。なお、この若三勝戦で大河は初めて幕下上位五番の取組を経験した。しかし、この大活躍によって次の7月場所では自己最高位を大きく更新した東幕下19枚目で迎えることとなり、活躍も期待されていたが、この場所は白星が無く7戦全敗を喫してしまった。次の場所からは心機一転で大黄虎の四股名に改名する〔四股名の名付け親は式秀部屋の女将(北桜の妻)。〕も、1勝6敗とまたしても大敗を喫して三段目の転落するなどしたため、以前の四股名と同じ読みに戻し、太牙へと再改名するも、ついに幕下には戻れず、2014年7月場所を7戦全敗したのを最後に現役を引退した〔元幕内隆の山ら13人引退 MSN産経ニュース 2014年7月30日(2014年7月30日閲覧)〕。なお、現役最後の取組だった栃乃島戦は髷つかみの反則負けだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太牙虎五郎」の詳細全文を読む



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