翻訳と辞書
Words near each other
・ 大黒寺
・ 大黒寺 (京都市伏見区)
・ 大黒寺 (羽曳野市)
・ 大黒将志
・ 大黒屋
・ 大黒屋 (いわき市)
・ 大黒屋 (チケット)
・ 大黒屋 (小樽市)
・ 大黒屋 (食品メーカー)
・ 大黒屋光太夫
大黒屋光太夫記念館
・ 大黒屋幸太夫
・ 大黒山
・ 大黒山島
・ 大黒島
・ 大黒島 (厚岸町)
・ 大黒島 (室蘭市)
・ 大黒工業
・ 大黒常是
・ 大黒幕


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大黒屋光太夫記念館 : ウィキペディア日本語版
大黒屋光太夫[だいこくや こうだゆう]

大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年(1751年) - 文政11年4月15日1828年5月28日))は、江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭。
天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年(1792年)に根室港入りして帰国した。
幕府老中松平定信は光太夫を利用してロシアとの交渉を目論んだが失脚する。その後は江戸で屋敷を与えられ、数少ない異国見聞者として桂川甫周大槻玄沢蘭学者と交流し、蘭学発展に寄与した。甫周による聞き取り『北槎聞略』が資料として残され、波乱に満ちたその人生史は小説や映画などでたびたび取りあげられている。
== 生涯 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大黒屋光太夫」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.