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大黒梅陰[だいこく ばいいん] 大黒 梅陰(だいこく ばいいん、1797年(寛政9年) - 1851年6月12日(嘉永4年5月13日))は、江戸時代後期の漢学者。大黒屋光太夫の子。通称は亀太郎。 == 生涯 == 14歳で商人の家に奉公に出る。奉公先での仕事は熱心であり、店の主人の覚えもよかった。主人は読書家であった梅陰の為に、金貸しで得た利息を梅陰の学業の為に費やしたという。梅陰自身、主人を篤く慕い、主人の死後、息子の不行跡によって商家が傾くと、主人の未亡人を支援して、借金の肩代わりを行い、また終生彼女の面倒を見た。 読書家であり、若い頃から書物を広く渉猟し、博識となった。父光太夫の死後、若干の銀を賜り、近所に家を構えて母を養い、門人を集めて教鞭を取るようになる。その学問は朱子学を中心としていた。 梅陰は、自分の培ってきた学問は所詮は雑学であり、名高い識者達のような傾聴に値する卓識はないが、一途に講読、講釈に励みたい、と語っていた。 1851年、55歳で死去。本郷元町の興安寺に墓所がある。墓碑銘は安井息軒が撰した〔『墓碑史蹟研究 第8巻』1350頁 〕。
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