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大黒橋 : ウィキペディア日本語版
大黒橋[だいこくばし]

大黒橋(だいこくばし)は、大阪府大阪市中央区にある、道頓堀川に架かる
島之内道頓堀(商店街)を結ぶ西端の橋で、深里橋四つ橋筋)の上流100mの位置に架かる。
== 歴史・概要 ==
大黒橋が始めて架けられたのは、1615年元和元年)に道頓堀川が開削されてから間もない時期で、江戸時代初期の記録には、橋長42.7m、幅員2.4mの木橋であったとされている〔大黒橋(だいこくばし) - 大阪市市政〕。
当時の地図には「なんば橋」もしくは「下橋」と記載されており、「大黒橋」の名称が使われているものは、1703年元禄16年)発行の『公私要覧』が最古であり、この時期前後に定着したものとみられる。大黒橋の名称は、木津大国神社(敷津松之宮)の参道に由来する〔大黒橋 歴史のある橋 - 歩いて大阪八百八橋〕。なお、現在当橋の上流側に架かる新戎橋と道頓堀橋はどちらも近代以降の架橋で、江戸時代を通じて当橋上流側の橋は今宮戎神社の参道に由来する戎橋だった。
木津大国神社の参道はまた、西成郡難波村木津村集落(現・浪速区元町・敷津西・大国)へ通じる道でもあった。難波村も木津村も、畑場八か村と呼ばれていた都市近郊型の畑作の村に該当し、当橋付近には青物朝市がよく立った。大黒橋をはじめとする畑場八か村の青物市は、公設の天満青物市場との対立を繰り返しながら、やがて木津卸売市場のルーツとなる難波木津市場の開設につながっていった。
1854年(嘉永7年)の安政南海地震では津波が発生し、遡上してきた船が横転し大黒橋で川をせき止め、河口から押し流されてきたものが岸に乗り上げたため、川岸に作った多くの家屋が壊されたと記録されている〔。
近年まで現存していた鉄筋コンクリートのアーチ橋は、1930年昭和5年)に架設されたもので、1車線車道と両側歩道の構造になっていた。その翌年には橋東側に河川浄化のための可動堰が設置され、その上部を歩行者専用道として利用した。可動堰は、橋がコンクリート製なのに対して、煉瓦で装飾されており、1988年(昭和63年)の改装工事にはベンチや植樹枡が設置されるなどの整備が行われた〔。
その後、劣化や損傷等の老朽化、耐震性の問題により、2013年(平成25年)4月まで行われた道頓堀川水辺整備事業の遊歩道とんぼりリバーウォーク設置工事に合わせて鋼ポータルラーメン橋に架け替えられた〔 - 大阪市市政〕。これは桁下高さや航路幅、河岸遊歩道の建築限界などを確保するために採用された〔 - 片山ストラテック〕。

ファイル:Daikokubashi Osaka JPN 001.jpg|2013年架替までのRCアーチ橋
ファイル:Daikokubashi (03) IMG 6400 20130727.JPG|道路・歩道部分


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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