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天京事変[てんけいじへん]
天京事変(てんけいじへん)は、天京(南京)で1856年に発生した太平天国の指導部の内紛である。楊秀清(東王)、韋昌輝(北王)、秦日綱(燕王)が命を落とし、2万人余りが殺害された事変である。天京事変は太平天国が衰亡へ向かう転換点となった。 ==背景== 1851年、洪秀全(天王)が王制を定めた時、楊秀成を他の四王の上位に置いたが、馮雲山と蕭朝貴が戦死した後はさらに権力が楊に集中するようになった。太平天国では軍師が実権を握っており、天王は各王の上にあるとはいえ、実際の権力は東王で正軍師の楊秀清のもとにあった。さらに楊はたびたび託宣(「天父下凡」)を発し、洪も楊の発する信託に従わざるを得なかった。 都を天京に定めた後、楊が韋昌輝(北王)や秦日綱(燕王)、そして石達開(翼王)の妻の父の黄玉崑を杖刑に処するなどの事件があり、楊と他の諸王との対立が深まっていった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天京事変」の詳細全文を読む
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