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天六駅 : ウィキペディア日本語版
天神橋筋六丁目駅[てんじんばしすじ6ちょうめえき]

天神橋筋六丁目駅(てんじんばしすじ6ちょうめえき)は、大阪府大阪市北区天神橋六丁目にある大阪市営地下鉄阪急電鉄共同使用駅)である。駅および周辺地域は、天六(てんろく)と呼ばれ親しまれている。
なお、1969年昭和44年)までは大阪市電が、1975年(昭和50年)までは阪神北大阪線が地上に乗り入れていた。
== 歴史 ==

=== 天神橋駅 ===
1925年大正14年)10月17日新京阪鉄道が大阪側のターミナルとして天神橋駅を置いた。これが現在の天神橋筋六丁目駅の直接のルーツであり、当時の隣駅である長柄駅と共に関西初の高架駅として知られる。なお駅名は所在地の地名(天神橋七丁目)に由来するが、この地名は「天神橋筋」を端折ったものであって〔阪急電鉄株式会社総務部広報課編 『阪急電車 駅めぐりー空から見た街と駅 京都線の巻ー』、1981年、98頁〕、橋としての天神橋は堺筋線北浜駅付近にある。
開業当初は仮駅で開業し、翌年地上7階建ての駅ビルが完成するが、この駅ビルはアメリカパシフィック電鉄の駅をモデルにしたものと言われ〔電気車研究会編『鉄道ピクトリアル』2011年12月号、2011年、21頁。〕、日本におけるターミナルビルの先駆として名高い。駅の3・4階には「新京阪マーケット」が入っており、安さと品揃えの良さで人気を集めた。このほか、5・6階に新京阪の本社、7階に新京阪会館と北大阪倶楽部が入居しており、新京阪が京阪に合併されると、阪急に戦時統合されるまで当駅に京阪の本社事務所が置かれた〔『阪急電車 駅めぐりー空から見た街と駅 京都線の巻ー』、99頁〕。
プラットホームはビルの2階部にあり、櫛型のホーム5面と軌道4線を備えていた。当初はホーム北寄りを降車ホームとし、列車は降車客を降ろして奥に進み、乗車客の取扱いを行っていた〔『鉄道ピクトリアル』2011年12月号、51頁〕。また、2階南側壁面にガラス張りの開口部があり、将来的に南へ延伸することを想定したものとも言われるが、後年のビル改修工事の際に塞がれた。新京阪のターミナルであったことから、戦前には特急や急行はその多くが当駅発着であった。戦時中に新京阪が阪急と統合され京阪神急行電鉄となったのち、戦後1950年に特急が復活した時は当駅発着であったものの、1956年以降はすべて梅田駅発着となり、当駅に発着するのは普通列車のみとなった〔。
1970年の大阪万博開催に備えて堺筋線が建設され、千里線と相互直通運転を行うことになった。それに合わせて当駅の地下化工事が行われ、工事期間中は天神橋駅に通じる単線の仮設線を設けて工事を行った。地下化後駅ビルは改装され天六阪急ビルとなって存続し駅のホーム跡もはっきりと認めることができたが、再開発計画に伴い2010年に取り壊された。なお、2013年阪急不動産によって跡地に建てられた超高層マンション「ジオタワー天六」の居住者用ロビーには、駅階段部に使用されていた大理石がアクセントパネルとなって保存されている。

ファイル:Shinkeihan Railway Tenjin-Bashi Station.JPG|1930年頃の新京阪鉄道天神橋駅
ファイル:阪急天六ビル.JPG|2010年の天六阪急ビル(解体前)
ファイル:Geo-Tower Tenroku.jpg|跡地には超高層マンションが建設された
ファイル:Former_Tenroku_stn_ruins.jpg|阪急天神橋駅旧駅舎跡 北側開口部
ファイル:Geo_tower_t6_marble_panel_01.jpg|階段部の大理石で作られたアクセントパネル


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天神橋筋六丁目駅」の詳細全文を読む



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