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天童 よしみ(てんどうよしみ、本名:吉田 芳美、1954年〔歌手・天童よしみのお母さん・吉田筆子さん 、asahi.com、2007年5月。2013年10月閲覧。〕9月26日 - )は、日本の女性演歌歌手である。 ==略歴== 出生地は和歌山県田辺市芳養町だが、公式プロフィールの出身地が大阪府八尾市なのは4歳で当地に引っ越ししたためで、現在も在住。父は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町出身。母方の祖母が福島県南会津郡只見町出身。 八尾市立龍華小学校、八尾市立龍華中学校卒業。 歌好きの父親の影響もあり、7歳で初めてのど自慢番組に出演。初のテレビ出演は毎日放送『素人名人会』で「可愛いベイビー」を歌い名人賞を受賞。その後も数多くののど自慢大会に出場し、ほとんどの大会で優勝する。 フジテレビ系『日清ちびっこのどじまん』への出演を機に番組プロデューサーから日本コロムビアへの紹介があり、フジテレビ系アニメ『いなかっぺ大将』の主題歌である「大ちゃん数え唄/いなかっぺ大将」を録音。1970年9月10日に吉田よしみ名義でシングル発売。 1972年、讀賣テレビ『全日本歌謡選手権』で10週連続勝ち抜き、7代目グランドチャンピオンに輝く。レギュラー審査員のルポライター竹中労が作詞した「風が吹く」で、天童よしみとしてキャニオンレコードからプロデビュー。芸名の「天童」は、「天」から授かった「童(わら)」に由来するものであり、命名も竹中であった。 しかし、その後、10年に亘る長い低迷を経験、一旦は引退も決意するが、両親の説得で思いとどまる。その後、1985年12月にテイチクレコード移籍第一弾シングル「道頓堀人情」を発売するにあたり、北は北海道から南は福岡県まで1か月で300件もの営業をこなし、有線からじわじわと人気が出、結果ヒット作となった。 以降、1993年『NHK紅白歌合戦』初出場、1996年に発売した「珍島物語」はロングヒットで130万枚を超える〔苦節27年!天童よしみ5位に登場 、ZAKZAK、1999年5月。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕売上を記録。自身初のミリオンセラーとなり、天性のキャラクターと相まって不動の人気を誇っている。 1998年には、同年に流行した新型インフルエンザまん延を食い止めるべく、魔除けのキーホルダー「よしみちゃん人形」を1000人に無料配布して若い世代の人気を呼び、話題となった〔天童よしみ、魔よけ人形無料配布「ウイルスは舐めたらアカン」 日テレNEWS24 2009年5月25日〕〔 nikkansports.com > 芸能 > インタビュー > 天童よしみ 日刊スポーツ 2004年12月26日〕。2000年にはたちばな出版の「魔除けヌードルキャンペーン」に「演歌の女神」キャラクターとして起用された〔天童よしみ│魔除けヌードルキャンペーン たちばな出版 〕 。 2001年には、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に本人役でテレビアニメのアフレコに挑戦した。 2004年にディズニー映画『ブラザー・ベア』劇中歌「グレイト・スピリット」の日本語バージョンを録音。日本盤サウンドトラックに収録された。 2006年8月29日、紅頭巾(くれないずきん)名義でシングル「紅頭巾参上」を発売。新歌舞伎座の特別公演『天童よしみの痛快!紅頭巾〜明日への道標〜』の挿入歌である。 上沼恵美子とは子供時代、数々ののど自慢に出ていた頃ライバルであった。出たのど自慢では常に天童が優勝で、上沼が準優勝だったと言う。 おおい大輔は付き人。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天童よしみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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