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天一 俊哉(てんいち としや、1977年11月22日 - )は、新潟県南魚沼郡大和町(現・南魚沼市)出身で、山響部屋(入門時は北の湖部屋)所属の現役大相撲力士。本名は渡辺 俊哉(わたなべ としや)。身長176cm、体重141kg、血液型はO型。最高位は西幕下10枚目(2006年11月場所)。 2000年頃に5年間、初切を担当していた。 == 来歴 == 中学校を卒業すると同時に北の湖部屋に入門し、1993年3月場所で初土俵を踏んだ。同期生には北勝力(現・谷川)、皇司(現・若藤)、琴春日、若兎馬、琉鵬、旭南海らがいる。また、初土俵は1場所違うが、大関武双山(現・藤島)からはよく目を掛けられているという〔天一、最年長Vに「記録になるなら」/秋場所 SANSPO.COM 2013年9月27日(2013年10月5日閲覧)〕。序ノ口デビューの翌5月場所から「天一」の四股名を名乗っているが、これは地元でお世話になった草相撲力士の力士の名前を貰ったものである〔『相撲』2013年10月号〕。序二段に定着していた1995年5月場所では、13日目の7番相撲で同期生の栃不動に勝って7戦全勝としたが、3人で行われた優勝決定巴戦で、志賀(後の大関・栃東、現・玉ノ井)に敗れて序二段優勝はならなかった。しかし全勝という大健闘で、翌7月場所で初めて三段目に昇進。一度序二段に陥落したが、1996年3月場所以降は現在にいたるまで三段目以上の番付を保っている。 1997年7月場所で初めての三段目優勝。この場所は同部屋から幕下の須佐の湖、序二段の雷法も優勝したため、NHK大相撲中継の優勝インタビューは3人同時に行われたという。〔2度目の三段目優勝時の優勝インタビューより〕この活躍により翌場所では幕下に初昇進。幕下昇進後は花相撲などで初切を務め、陽気でエンターテイナー気質の性格から、覆面レスラーならぬ覆面力士として初切に乱入したこともあった。 2006年11月場所で幕下10枚目に昇進するが、現在までに関取昇進は果たせておらず、これが自己最高位となっている。30歳を過ぎてからも幕下で相撲を取ることが多く、相撲内容では特に力の衰えは感じられない。特に、三段目に下がっていた2013年9月場所では、35歳10ヶ月という高齢で2度目の三段目優勝をしたが、それまでの幕下以下での最高齢優勝は十文字が2010年7月場所で幕下優勝をした時の34歳1ヶ月であり、これを1歳9ヶ月も更新するという快挙を果たしている〔【秋場所】35歳10か月の天一が三段目優勝 スポーツ報知(電子版) 2013年9月27日(2013年10月5日閲覧)〕。 怪我が少なく、入門から長らく皆勤を続けていたが、2015年1月場所の6番相撲が自身初の不戦敗となり、連続出場は908回で止まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天一俊哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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