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天徳内裏歌合 : ウィキペディア日本語版
天徳内裏歌合[てんとくだいりうたあわせ]
天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)は、天徳4年3月30日960年4月28日)、村上天皇によって行われた歌合
== 概要 ==
歌題の提示から当日まで1ヶ月の期間をおき、進め方や左右双方の衣裳、歌を書いた色紙を置く州浜(入り江などをかたどった飾り台)にいたるまで周到に準備されたもので、その典雅さなどで後世の歌合の手本となった。
3月初めに示された題は霞、鶯 、柳、桜 、款冬(山吹)、藤、暮春、首夏、郭公(ほととぎす)、卯花、夏草、恋の12。鶯、郭公が各2、桜が3、恋が5の計20番で戦われた。判者(はんじゃ:勝敗を決める役)は左大臣藤原実頼、その補佐に大納言源高明(たかあきら)、講師(こうじ:歌を読み上げる役)は左方・源延光、右方・源博雅、方人(かたうど;応援する役)には女房たちが左右に分かれ、それぞれ左方は(朱)、右方は(緑)を基調に衣裳を揃えるなど趣向を凝らしたものであったという。
当日は午後早くから会場となる清涼殿の準備が始まったが、左方の州浜の参上が遅れ、歌合が始まったときはすでに日が暮れていたといわれる。歌合は夜を徹して行われ、左方の10勝5敗5引き分けで終わった。歌合のあと管弦の遊びが催され、退出は翌朝のことであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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