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佐野房綱[さの ふさつな]
佐野 房綱(さの ふさつな)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。天徳寺宝衍もしくは天徳寺了伯と号したが、房綱本人のものと思われる大半の書状には「宝衍」と記されてる一方、「了伯」は『唐沢城老談記』『唐沢軍談』などである。佐野氏の家督を継承後に「房綱」を名乗ったとされる。なお本項では、房綱と統一して記述する。 == 生涯 ==
=== 佐野昌綱の時代 === 永禄元年(1558年)、下野国の戦国大名・佐野氏第13代当主・佐野泰綱(一説には兄・佐野豊綱)の子として誕生。 はじめ兄で第15代当主・佐野昌綱に仕えた。昌綱には弟が二人おり、その天徳寺(房綱)と遊願寺の両人は、武者修行のために諸国を回り、遊願寺は武田信玄に仕え、次に上杉謙信に千貫で召し抱えられ、与力と歩弓を預けられ、謙信公の長刀の師範とされたが、直江山城守に謀殺されたと伝わる〔『唐沢城老談記』〕。また房綱も武田信玄、上杉謙信に面会したが、両人とも厳しくゆるみない様子であり、顔をあげて対面しようとしたものの、威に打たれてできなかったと伝わる〔『武功雑記』〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野房綱」の詳細全文を読む
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