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御廟野古墳(ごびょうのこふん)は、京都府京都市山科区にある八角墳。古墳時代終末期の古墳である。 宮内庁により「山科陵(やましなのみささぎ)」として第38代天智天皇の陵に治定されている。 == 概要 == 本古墳は、被葬者の実在性にも、天皇陵古墳に比定することにも問題がない、つまり、「天智天皇陵」と呼称してもほぼ間違いのない古墳である。このような古墳は非常に稀であり、他には天武・持統合葬陵の野口王墓があるだけである。 築造年代は7世紀末~8世紀。古墳の大きさは、上円対辺長約46メートル、下方辺長約70メートル、高さ8メートルである。 八角墳は7世紀の中葉になると、大王墓のみが営むようになる。現在知られているかぎりでは、奈良県桜井市の段ノ塚古墳(現舒明天皇陵)、奈良県高市郡明日香村の野口王墓(現天武・持統陵)、一般に文武天皇陵と考えられている明日香村の中尾山古墳、それに御廟野古墳などが八角形平面の墳丘を持っている。日本では初めて大王に固有の型式の陵墓が出現したといえる。 これらのほかに、奈良県高市郡高取町の束明神古墳(草壁皇子の真弓山稜か)、方形墳の上に八角形の墳丘を造っている可能性のある明日香村の岩屋山古墳(斉明天皇陵か)などが八角形墳の可能性を指摘されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御廟野古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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