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天然浄祐[てんねん じょうゆう] 天然 浄祐(てんねん じょうゆう、1442年(嘉吉2年) - 1506年(永正3年))は、室町時代の浄土宗及び浄土真宗の僧〔 大分県立歴史博物館、2013年11月21日〕。 == 生涯 == 1442年(嘉吉2年)、周防国山口(現在の山口県山口市)で生まれる。初め、長門国長府(現在の山口県下関市)で禅宗を修めたが、上京して浄土宗を学び、周防、長門、豊前、豊後で布教した〔興正寺史話【九十七】 「天然」~九州の真宗のはじまり~ 興正寺〕。1476年(文明8年)、豊後国大分郡高田庄別保村(現在の大分県大分市別保)の弟子に乞われ、同地に浄土宗鎮西派〔日本仏教の展開 叡山浄土教の大成者「源信」の説話 淺田正博、築地本願寺新報 2007年1月号〕の専想寺を開いた(ただし、最澄によって創建された後、寂れていた寺を再興したという説もある〔専想寺 天然と浄土真宗の広がり 大分歴史事典〕)。 その後、1482年(文明14年)に上京し、蓮如に帰依して浄土真宗に改宗。1484年(文明16年)に豊後国に戻ると、専想寺を拠点として周防、長門、豊前、豊後で布教を行った。このため、専想寺は九州最古の浄土真宗の寺院とされる〔〔専想寺 〕。1496年(明応5年)には、弟子を連れて再び京都を訪れ、蓮如から名号百幅を授かったという〔。 大分県大分市明野北に現存する天然塚は天然浄祐の墓で、その周囲は公園として整備されて天然塚公園となっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天然浄祐」の詳細全文を読む
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