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天王寺屋五兵衛 : ウィキペディア日本語版
天王寺屋五兵衛
天王寺屋 五兵衛(てんのうじや ごへえ、元和9年7月12日1623年8月8日〉 - 元禄7年12月1日1695年1月15日〉)は、江戸時代商人である。姓名は大眉 光重(おおまゆ みつしげ)。
== 概要 ==
父の代から大坂今橋で天王寺屋を名乗り、寛永5年(1628年)に両替店を開いていた。
寛文10年(1670年)には、大坂町奉行により両替商を統括する十人両替仲間の筆頭に任命された。手形制度を創設して信用取引のはじまりを確立したのも五兵衛である。諸大名の大坂蔵屋敷の蔵元や掛屋も務め、大名貸にも応じ、幕府御用金の徴募も代行した。
以後の大眉家は天王寺屋五兵衛を代々襲名し、大坂の大商人として幕末まで重きをなした。しかし、明治維新以後は時勢の変動に対応できず没落し破産、名を残すことが出来なかった。
江戸時代の今橋は大店の両替商が軒を連ね、現在の今橋1丁目には天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛の2軒が道を挟んで店を構えていたことから、「天五(てんご)に平五(へいご)十兵衛横町」と呼ばれ、開平小学校脇にその記念碑が建てられている〔大阪市 歴史の散歩道「天五(てんご)に平五(へいご)・十兵衛横町(じゅうべえよこちょう)」 〕。
天王寺屋の邸宅は抵当物件として売りに出され、明治大正期の弁護士・実業家で茶人の高谷宗範〔山荘流茶道教室 流祖高谷宗範 〕が買い取り、京都府宇治市の松殿山荘に移築された。大玄関や茶室にかつての栄華が偲ばれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「天王寺屋五兵衛」の詳細全文を読む



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