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天真楼(てんしんろう)は、杉田玄白の医学・蘭学塾。天真楼塾ともいう。 ==起源== 天真楼が開かれた時期は未詳。 杉田玄白が天真楼という塾を開いていたことは確かであるが、「天真楼」を杉田玄白の雅号とする説もある。しかしこれは、塾としての天真楼がまずあり、その長としての庵号だと思う。 玄白の著作に『天真楼雑稿』『天真楼漫筆』などがある(未見)。 安永3年(1774年)年に出版された『解体新書』図版の表紙には、すでに「天真楼」の名が見える。これは杉田玄白個人を表すのではなく、出版の主体としての塾名であろう。つまり天真楼塾は『解体新書』出版以前から存在したことになる。 杉田玄白がその父甫仙から家督を継いだのは明和6年(1769年)のことで、『解体新書』の出版からあまり遠くない。もしかすると天真楼塾は甫仙の時代から存在して、玄白はそれを嗣いだのかもしれない。 ''上記の是非を決定する資料がありません。御存知の方は訂正をおねがいします。'' 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天真楼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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