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天竺(てんじく)とは、インドの旧名。ただし、現在のインドと正確に一致するわけではない。 == 由来 == 中国人がインドに関する知識を得たのは、張騫の中央アジア(後年の用語で言う西域)探検によってであった。司馬遷の『史記』では、インドを身毒(しんどく)の名で記している(大宛列伝、西南夷列伝)。天竺の名は『後漢書』に見える(西域伝「天竺国、一名身毒、在月氏之東南数千里」)。また天篤という字も使われた〔『漢書』張騫・李広利伝「吾賈人往市之身毒国。」注「李奇曰:一名天篤、則浮屠胡是也。」〕。 インダス川のことをサンスクリットで Sindhu、イラン語派では Hindu と呼んだ。またイラン語派の言語ではインドのことをインダス川にちなんで Hinduka と呼んだ。身毒も天竺も、この Hinduka に由来している。ただし水谷真成はこれらの漢字をサンスクリットの Sindhu を直接音訳したものとする〔玄奘『大唐西域記』 水谷真成訳注、中国古典文学大系22, 1971, 56頁.〕。 おなじ Hindu が を経て、 となり、そこから India の語が生まれた。 インド方面から中国に渡来した人の姓としても「竺」の字が使われた(竺法護)。また、仏教の僧侶が竺姓を名乗ることもあった(竺道生)。 後に、音韻変化によって天竺や身毒が Hindu と音の違いが大きくなると、賢豆という字もあてられた〔。 天竺にかわって印度の語をはじめて用いたのは玄奘であるが、玄奘はこの語をサンスクリット indu (月)に由来するとしている〔。また、この語をインドラの町を意味する Indravardhana に結びつける説も現れた〔道宣『続高僧伝』巻二:「賢豆」、本音「因陀羅婆陀那」、此云「主処」。謂天帝所護故也。「賢豆」之音、彼国之訛略耳。「身毒」・「天竺」、此方之訛称也。〕。 現代日本では、天竺を『西遊記』で玄奘ら一行が取経に向かった地とすることが多いが、『西遊記』原文には天竺の語はあまり現れず、通常は西天と呼んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「天竺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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