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太子流 : ウィキペディア日本語版
聖徳太子流[しょうとくたいしりゅう]
聖徳太子流(しょうとくたいしりゅう)は、望月定朝が開いたとされる軍学武術流派である。軍法(軍学)の他、剣術薙刀術などを伝えた。太子流とも呼ばれた〔綿谷・山田(1978):373ページ〕。薙刀術は静流とも呼ばれた〔宮城県史18(1959):388ページ〕〔綿谷・山田(1978):347ページ〕。
== 歴史 ==
清和天皇の第四皇子である貞元親王の末裔で、信州望月の生まれの望月定朝がある日、夢の中で聖徳太子から軍要を教わり、悟って一流を起こしたのが始まりとされる。その後、定朝は武田氏に仕え、軍功を挙げたが長篠の戦いで戦死したという〔。
当初は軍法のみであった。聖徳太子から鬼一法眼源義経を経て楠木正成に伝わったとされるが、もちろん付会の説である〔富永(1971):321ページ〕。山鹿流甲州流の影響もあるという。
武田家滅亡後、定朝の子孫の望月安光は出家して諸国を放浪していたが、会津藩主の保科正之に取立てられて会津にとどまった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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