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太極図[たいきょくず]
太極図(たいきょくず、正体字: 太極圖、簡体字: 太极图、Pinyin: tàijítú、Wade-Giles: t'ai⁴chi²t'u²、英: Yin Yang)は、太極を表すための図案。陰陽太極図や陰陽魚とも呼称される。 『易経』繋辞上伝にある「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず(易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦)」に由来し、宋易(宋代から興起した朱子学系統の易学)や道教において重視された。 太極図は歴史上、下記のようにさまざまに描かれてきた。ただし、どの図においても太極自体は○(円)で表された。 == 五層 ==
太極図が文献として確認されるのは北宋の周敦頤の著した『太極図説』(11世紀)が最初である。『易経』繋辞上伝における「太極 - 両儀 - 四象 - 八卦」にもとづきつつ陰陽五行や『老子』の無極を取り入れて万物化生にいたる宇宙生成モデルを表した。一番上の太極(=無極)から陰陽、五行、乾坤男女、万物と生成される過程が描かれている。南宋の朱熹は太極=理と定義してこの図を重視し、『太極図説解』を著して朱子学を補完するための基礎文献とした。 この太極図の由来については周敦頤の創作とする説と先行する道教系統の図があったとする両説がある。周敦頤作とするのは友人潘興嗣が撰した『濂渓先生墓志銘』にある「尤も善く名理を談じ、易学に深く、『太極図』『易説』『易通』数十篇を作れり」という記述がもとになり、朱熹もこれを信じた。一方、周敦頤作を疑うのは南宋初の朱震の「陳摶は「『先天図』を以て种放に伝え、放は穆脩に伝え、穆脩は李之才に伝え、之才は邵雍に伝う。…穆脩は『太極図』を以て周惇頤に伝え、惇頤は程顥・程頤に伝う」という発言にもとづいており、早くには陸九淵がこれにより「朱元晦に与える書」において懐疑を提示している。朱子学を批判し、考証学を重んじた清代の儒学者たちは「太極図」は周敦頤の作ではなく、道教に由来すると主張した。朱彝尊は『太極図授受考』において「漢以来の儒者たちには『易経』について語っても太極図についての言及はなく、ただ道教の『上方大洞真元妙経』が太極・三五の説を著し、唐玄宗御序・東蜀衛琪注の『玉清無極洞仙経』に無極・太極の図がある」と述べた。また黄宗炎は『太極図説辨』『図書辨惑』などにおいて周敦頤太極図は五代末の道士陳摶の伝えたという3つの易図の一つ「無極図」に由来するとし、また陳摶無極図の第3層「五気朝元図」は『周易参同契』(内丹の基本経典)に基づく「三五至精図」に、第2層の「取坎填離図」は『参同契』の「水火匡廓図」に由来するとして方士の錬丹術にもとづいているとした。現在では、この清朝の学説を踏襲する人も多いが、周敦頤太極図が先行し、道教で無極・太極の概念を教義に取りこんでいく過程で逆にこれらの諸図が作られていったとする説も有力である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太極図」の詳細全文を読む
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